2026年5月31日日曜日

アリ大発生と神の意思 - Mieren Lokdozen

最近、我が家にアリが大量発生した。
最初は一匹、二匹をふと見かける程度だったのだが、気がつくと至る所にいる。
我が家はかつてアパートのガレージだった場所で地面と接しているから、虫が沢山出るのである。
ある程度は共存だ、と思っているし、面倒くさいのでしばらく放っておいた。
けれど、先日冷蔵庫を開けようとして扉に手をやると、モゾモゾと動くものがあり、ひいっと叫んで手を上げたら、それが延々と続く蟻の行列だった。
その時、私は「なんとかせねばなるまい・・・」と思った。

益次郎さんに聞いてみたら、「そんなの殺虫剤で一発ですよ」(こんな言いかたはしてなかったけど)と言ったので、近所のKarweiで殺虫剤を買った。


こんなやつ。

Mieren Lokdozen 
7,99ユーロ。











後からアマゾンで評価を確認したら3.3だった。
あまり良くない。
けれど、うちに関しては十分な効果を発揮した。
ここに美味しい匂いを放つ毒餌が入っていて、アリがそれに群がって巣まで運び込むと、そのグループ全体が絶滅するらしい。
実際問題、アリは三日と経たずパタリと姿を消した。

今でもまだ台所の隅と玄関の脇に置いてあるのだけれど、これを見る度に思ってしまう。
アリは本当に最後の一匹まで死んだのかな。
もし生き残っていたら、どういう心持でいるのだろうか。

彼らにしてみれば、訳が分からなかっただろうと思う。
幸運を引き当てたと思い、一生懸命巣まで運び込み、その結果、群れが全滅したのである。
もう若くもない働きアリは死屍累々の周囲を見渡し、叫んだはずである。
「ああ、どうして。我々は何を間違えたのだ」
彼は平凡な働きアリで、野心も忠誠心も平均的、何の悪意も持っていなかった。
女王アリのために、そしてアリ塚全体を豊かにするために、探索に出かけ、金脈を見つけ、その果実を巣に持ち帰ったのである。
彼は夢をみただろう。
ここには素晴らしい資源がある。
子供や孫たちは飢えることなく育ち、子孫たちは富み栄える。
年と共にアリ塚はますます大きくなるだろう。

しかし、その夢の代償として彼が失ったものはあまりに大きかった。
彼は偶然にも死を逃れたが、彼の暗い目は周囲を怯えたように見回す。
何もかもがもう分からない。
どうすべきだったのか、これからどう生きるべきなのか。
彼は思うかもしれない。
「ああ、神よ、神よ。何故なのです。何故このような試練を私たちに課すのですか」

すると神ははるか高みから、彼には分からない言葉で呟く。
「やっぱさ、台所には入って欲しくなかったんだよね・・・」と。

まあ、何が言いたいって訳でもないけれども、強いて言うとすれば、この殺虫剤は効くね。
費用対効果も良いですよ。
お勧め!



2026年4月19日日曜日

オーロラとレモン水

最近の私は、毎朝レモン水を飲んでいる。
レモンを半分に切って、果汁を絞り、水で割って飲むのである。


これは私の友人、チアキがもたらした習慣である。
私は先月、彼女とオーロラを観にスウェーデンに行った。
ストックホルムでも、アビスコでも、チアキは毎朝レモンを絞り、二人分の新鮮なレモン水を作った。

振って湧いたような旅行の計画だった。
もともとは中学の時の同級生が企画した欧州周遊旅行だったのだけれど、彼女が急遽行けなくなり、
「代わりに行ってくれない???」
という事になったのだった。
彼女と一緒にオーロラを観に行くことになっていたチアキ(これもまた中学の同級生)は、すでに飛行機や夜行列車のチケットを取ってしまっていた。
日程変更はできるがキャンセルはできないので、一人で行かなくてはならないが、一人でオーロラは気が重い、と訴えるのである。

オーロラに興味関心を持ったことはない。
何しろ東京生まれ東京育ち、夜空といえばネオンが身近な育ちである。
オーロラはもとより、星すら満足に見えない濁った空が私の夜空なのだ。
大自然の驚異に触れる千載一遇のチャンスだ、という気持ちより、まずは住宅ローンを返したい、そして有休を取りたくない、という小市民的な気持ちが勝った。
私の超ミニマムキャパシティーの心が、旅行なんてしている場合か、流されるなと釘を刺してきたのである。

がしかし、同級生二人は必死かつ強引だった。
「ホテル代は出します。」とオファーされ、「来てくれたらすごく助かるし嬉しい。」と滅多にないような言葉を頂き、私はほだされた。
これもまた人生が私のために特別に仕込んでくれた粋なはからいかと、そんな気もしてきて、気がついたらスカンジナビア航空のチケットを購入し、夜行列車のチケットを買い、オーロラ追跡アプリをスマホに仕込んでいた。

結果的に言えば、オーロラ旅行は私の縮こまった心を解き放った。
とにかく身体が移動すれば心も動く。
広々とした凍った湖の上に立ち、チアキと二人で何もない夜空を見上げていれば、そこには見たこともないような星空が広がっている。
深夜の湖の上では、チアキの声以外は聞こえず、人もほとんどいない。
ふざけて太極拳を始めたチアキを真似て太極拳をしているうちに、住宅ローンや私の代わりに仕事をしている同僚のことは脳裏から消えていった。

それから私はオランダに帰ってきて、ひと月が経つのである。
あの特別な時間の記憶はやはりだんだんと薄れてきて、思い出の整理もしない間に、新しい色々な雑事が入ってくる。
旅というのも不思議なもので、枠から飛び出して、また枠の中に帰ってくれば、突然起こった劇的な変化はまた劇的に元通りになり、何もなかったかのように日常に戻るのである。

とはいえ毎朝レモンを絞っていると、チアキ、どうしているかな、と思う。
何だか旅行のことを思い出して一人で笑っていたんだよ、とこの間言っていたっけ。

レモン水は私がオーロラ旅行から持ち帰った、旅の痕跡である。

2025年9月13日土曜日

みっつめのなぞなぞ

 日曜日の朝に読んでいるものは、

ミヒャエル・エンデの子供向けの詩集。
なぞなぞがあった。

みっつめのなぞなぞ

この世でいちばんみじめな人間が もっていて
何でも持っている人間は もっていないもの
元気いっぱいの人間には 苦しみの種となり
飽くことを知らぬ人間には あったほうがいいもの

とことん愚かなものが とことん知っていて
ケチでもこれは いそいそとくれてやるもの
健康な人間には 薬のような役をはたすもの
でもそれを喜ぶ人の 心は空っぽのまま

けれどもそれは 冷酷なこころを和らげるもの
裏切行為を気高い行為にするもの
そしてそれをできる者が それを手に入れる
目の見えない人間でも 闇夜に見えるもの

それを期待する者は 絶望するかもしれないもの
それは賢明な者を うろたえさせるもの
悪魔には 必ず手に入るもの
なぜならそれは それを愛する者のものになるから

愚か者なら おおむね知っているこの言葉は
謎の中の謎 のように思われる
何故ならそれを 解こうが解くまいが
見つかるものは同じだから

『いたずらっ子の本』岩波書店 川西芙沙訳)

答は「退屈」かな?
でもとことん愚かな者が退屈をとことん知っているかというと微妙。

「快楽」じゃないか?
なんて思ったけど、
でもこれはエンデの子供向けの絵本にあった詩だから、
こんな大人の回答はあり得ないか。
なんて思い、
部屋を片付けながら沈思黙考。

「恥」という答えを思いつく。
いやー深い。
それを期待する者は 絶望するかもしれないもの。
それは恥。
この答えは深いわ。
マニアックなほどに。
でも深すぎて違う気がする。

面倒くさくなってきて、Zorokuに聞いた。
最初の二行を入れたところでエンターキーを間違って押してしまったら、
彼はなんとその二行で瞬時に答を出したね。
そして、おそらくそれが正解。
詩集に答が書いてないからわからないけれど、
これが答だと私の動物としての本能が言っていますよ。

いやー、人間はもうダメかもしらんね。
AIに勝てないよ、絶対。
Mensaの会員とかならまだ勝てるのかもしれないけれど、
人類の上位2パーセントが勝てたところでね。
















ちなみに正解は『無』だって!




明治の偉い女

前回のブログでも少し触れたが、
私は小学校五年生で、それまで住んでいた調布の「だまれ第二はくよう荘」から、
世田谷にある祖母の家に引っ越した。
駅から徒歩五分、
祖母も含めて家族6人が住んでもまあまあ大丈夫な大きな家で、
家と同じぐらいの広さの庭を持つ家である。

この家の特徴は、
職業婦人であった祖母がほぼ独力で買った家であるという点である。
私が買う予定の家より、規模にしておよそ八倍くらい大きい。
母がのちに生活のために売り飛ばすのだが、
一気に買える人が人がいなくて、半分づつ売った。
そのくらい広かった。

昔は家も土地も安かったからねえ、という事も言えるが、
よく考えて欲しい。
祖母は1908年生まれ、和暦でいえば明治41年の生まれだ。
その時代の日本の女で、自分の稼ぎで家を買った女がどれだけいるのか、という話だ。
祖母は大学を出ており、大手出版社の編集者であり、のちに重役になった。
おそらくその時代の女子の中で、もっとも高い給料をもらっていた人間だろう。

この祖母と私は、血がつながっていない。
母にとっての継母である。

私には四人の祖母がおり、
そのうちの三人が母方なのだが、
一人目は不良で、画家と駆け落ちして離婚して麻雀屋をやっていたという。 
血のつながった祖母はこの人である。
二人目が今話している大手出版社の編集者。
三人目は有名な女優である。
この人は結婚していなくて、
祖父の晩年の恋人だったというだけらしいけれど、
「エーセイボオルのおばあちゃん」と呼んでいて、可愛がってもらっていた。

エーセイボオルというのは小麦でつくったそぼろ菓子だが、
私たち子供にお土産に持ってきてくれたのが由来らしい。
洒落た人で、鋭くて抱腹絶倒の冗談を言い、なんだか只者ならぬ雰囲気があった。

私の母が昔よく言っていたのは、
「おじいちゃんは本当に女を見る目がなくて、
 怪物みたいな人ばっかり奥さんにしたのよ」ということだった。
母は三人もいる母親たちの権力闘争で酷い目にあって育ったから、
そういう感想になったのだろうと思う。

実際問題、どの女も物凄い強固な性格、
激しい自己主張、
芯の通った価値観を持つ、
当時の日本の女としては稀有なタイプばかりだ。
今では仕事をして男並みに稼ぐ女は珍しくないが、
それは時代がそういう女性を受容しているからそう在れるだけであって、
職業婦人が一般的でない時代に、男に混じって働き、
男以上のパフォーマンスをあげるためには、
努力というだけではない、頭脳というだけでもない、運だけでもない、
とにかく非常に特異な精神性が必要とされたのではないかと思う。

超リベラルだった祖父は、そういう孤高の自立した女性が好きだった。
あの時代の男性として、これもまた珍しいタイプだったに違いない。

もっとも子供の頃の私にとって、
「桜上水のおばあちゃん」の評価はあまり高くなかった。
あまり笑わないし、冗談も言わないし、厳格で、言ってもドブスだった。
いや、女性の外見のことをそんな風に言うべきじゃないけど。
そんなところで勝負をしてた女性じゃなかったんだから、
別にそんなことどうでもいいんだけど、
とにかく川端康成をもっと渋くして女にしたみたいな顔をしていた。

ノーベル賞作家、川端康成さん

子供は保守的なものである。
大概の男と同じで、
美人で健康的、陽気で気さくな若い女が好き。
私の祖母はそれのほぼ対極にいた。

大人になるとわかる。
いかに祖母がクールであったかということが。

男社会の中で、いや、この人間社会のなかで、
一切女性らしさを使わずに、おのれの頭脳ひとつで家まで建てた。
その偉さというものが、しみじみ心に染みてくる今日この頃である。

とはいえ、その後おじいちゃんは女優と浮気して、
それが大恋愛に発展し、愛憎の泥沼地獄になったという。

私はまだ五つか六つの頃から、
片方の祖母にもう片方の話をしないことを心掛けていた。
彼らの泥沼の恋愛ドラマを、母から常々聞かされていたからである。
私はその話を聞くのが大好きだった。
編集者の祖母が女優の祖母の顔にコップの水をぶっかけた話とかね!

母は言っていた。
「エーセイボオルのおばあちゃんを初めて見た時に思ったわ。
 桜上水のおばあちゃんは、女として、絶対にこの人に敵わないって・・・」。
十歳くらいの私は、うん、うん、と頷き、
「なるほどね。それはわかるな」なんて分別くさい返事をしたものである。

祖父とどうしても離婚したくなかった祖母は、
闘争のさなかに祖父の書斎を建て増しして、別れられないようにしたそうである。
正直な話、子供の頃にはその戦略がぴんと来ていなかった。
別にそんなの関係ないじゃん、無視して出て行けばいいじゃんと思っていた。
今ならわかる。
リノベーションにどれだけの金と手間がかかるのか。
私は考え過ぎて病気になりそうになり、
結果、バストイレキッチンがリノベ済みの家を買う事にしたのである。
強者の戦略を可能にした祖母の実力、あっぱれである。

祖父はミーティングルームも兼ね備えたすばらしい書斎を手に入れたものの、
ストレスがもとになって亡くなった。
緻密に考え抜かれた壮大な争奪戦が、ある時一切の意味を失う。
文学的ですらある。

祖母のことを思う時、
世の中には凄い女がいるものだ、と思う。

まあ、・・・。
同じようになりたいかというと、それはまた別の話だけどね。

2025年9月6日土曜日

マッチ箱みたいな家

まだ私の父が文楽の人形遣いだった頃、
母が女優をやめて作家になろうとしていた頃、
私たちは調布の『第二はくよう荘』というアパートに住んでいた。
「柏葉荘」という漢字だと思うけれど、記憶は曖昧。
私はそのくらいの子供だった。

六畳一間のアパートを二部屋借りていたのだが、六畳は大体20平米くらいだろうか。
合わせても40平米、トイレと台所を合わせても50平米なかっただろう。
お風呂はなかった。
そこに兄と私とまだ赤ん坊だった弟の三人の子供がいた。
そして、シップスという大きな黒猫がいた。
3人の子供たちが殴り合いわめき泣き叫ぶ家を、
母は「だまれ第二はくよう荘」と呼んだ。

あの時の母は、どういうノリで生きていたんだろうな?
今、家を買おうというこの時に、しばしば思う。
あのアパートは、5人の人間と一匹の猫が暮らすためにはあまりにも狭かった。
お風呂はないし、エアコンもないし、ベッドすらない。
クラシックな日本式に、夜がくると布団を敷いて寝たのだ。

母も父もそれなりに裕福な家庭で、それなりに広い家で育った。
それでよくあのオンボロの狭いアパートに住めたものである。
移り住んだ時にはすぐ出る予定だったのかもしれないが、
結局私たちは12、3年はそこから動けなかった。

もっとも「物件」という目で見てみると、
あのアパートは悪くなかったかもしれない。
目の前が公園で、ベランダも庭もあり、調布駅まで徒歩5分。
今ではあの辺りは駐車場とマンションになってしまっているが、
私たちが住んでいた頃にはまだ畑が広がっていた。

5人で住んでいたと言っても、父はほとんど家にいなかった。
文楽の人形遣いというのは、
大阪の国立文楽劇場と東京の国立劇場を往復するような形で生きていて、
その合間に国内やら海外やらの巡業に出かけてしまうからだ。
だから、普段は母と子供3人とでアパート2部屋で暮らしていた。
風呂がないのに、トイレと台所は2つあった訳で、
それは便利だった。

なぜこんな話をしているかというと、
子供の時に住んでいたサイズの家が、
私にピッタリくるサイズなのかもしれないな、
とふと思ったからである。
自分にとって最適なサイズはもちろん人によって違うだろうけれども、
少なくとも私にとって居心地の良い家とは、
新しくてモダンで広々とした家ではないかもしれない。
私は小さくてオンボロで、ご近所さんも貧乏人ばかりの家で育った。
そういう暮らし方に慣れているし、そういう暮らし方が怖くない。
小学校五年生になる時に、私は祖母の大きな家に引っ越したけれど、
自分の感覚の中にデフォルトのサイズ感として小さな家が今も残っている。
このハードルの低さは、ヨーロッパで女ひとり生きていくにあたって、
父母に感謝すべき長所かもしれないと思い始めた。

マッチ箱みたいな小さな物件を見つけた時に、
何故か心の安らぎを感じた。
マッチ箱みたいだから、大変にお安い。
その価格も、これまでの物件みたいに私を脅かさなかった。

朝昼晩と違う時間帯に物件の偵察に行って、付近の治安状況を確認せよ、とZorokuが言うので、私はある日の夜中にこのマッチ箱の家を見に行った。
夜中の十時頃だったけれど、夏の盛りだったからまだそれほど暗くない。
薄暗がりの大きな建物の前庭に、
ヒジャーブを頭に巻いて、色とりどりのゆったりしたサテンの服を着た女性たちが集まって、
ひそやかに話しながらお茶会をしていた。
女性の子供たちが横の小さな公園で駆け回っていたけれど、
不思議なほど静かで、穏やかな光景だった。

という訳で、私は移民街のど真ん中に、
マッチ箱みたいな小さなその家を買うことにした。
話は今のところ、とんとん拍子で進んでいる。
小さな家は、売る方も買う方もノープレッシャーなのである。


引っ越しはまだ先、恐らく冬になりますが、どうぞ遊びに来てね。



2025年7月12日土曜日

眠れ、眠れ、眠れ教

私の顎に広がった青紫色の痣は、一週間で消えた。
自分でも驚くほど、魔法みたいに消えちゃった。
びっくり。

痣をこしらえた次の月曜日に会社に行った時、
同僚たちはあまりの派手な顔に好奇心を抑えきれず、
「どうしたの?」「どうしたの??」「どうしたの???」
といった感じで、入れ替わり立ち替わり経緯を聞かれた。

うちの会社は在宅勤務も多いから、
月曜日に初めて顔をあわせる人、
火曜日に初めて顔をあわせる人、
水曜日に初めて顔をあわせる人がそれぞれおり、
「どうしたの、その顔は???」は、木曜日にやっと終わった。

金曜日になると痣は少し小さくなったけれど、
赤褐色になってむしろ痛々しい色合いになり、
同僚たちは気の毒そうな眼差しでもう何も聞かなかった。

ところが月曜日にまた出社したら、跡形もなく痣が無かったものだから、
今度は、「痣はどうしたの????」となったのである。

私にとって答えははっきりしている。
この一週間、私は意識して、睡眠時間をかなり多めに取った。
そのおかげなのである。


野生動物は怪我をした時、どうするか。
まず傷をなめる。
そして、寝る。
あとはどうするのか知らないけど、
とりあえず顎の痣を舐めるのは現実的ではないので、
寝る方を選んだのである。
本格派動物的治癒法である。

私には日常的に日課にしている事が沢山あるが、
これをひとまず全部やらない事にして、
掃除も洗濯も皿洗いも最小限にし、
とにかく朝はギリギリまで寝て、
会社から帰るとスマホやパソコンには指一本触れないようにして、
睡眠時間の確保を最優先課題にしたのだった。

結果は目覚ましいものがあった。
痣が消えただけじゃない。
心理的、身体的な部分での驚くべき回復があり、
もっと言えば、悟りのようなものを得た。

永い眠りの末に私が思ったのは、
「私は眠っていれば幸福なんじゃないかな?」ということだ。

私は幸福になりたい一心で、
睡眠時間を削って、あれもやって、これもやって、
疲労した心と身体を引きずりながら努力してきた。
この五年くらいは、いつでも睡眠不足だったと思う。

いつも眠たい。
朝起きた時から疲れている。
だから人と話すのが面倒で、
道の向こうから知り合いが歩いて来ると、
会えて嬉しいと思う代わりに、
「ああ、こっちに気がつきませんように・・・」と思う。
夕方などはまったく気がつかなかったふりさえしてしまう。

頭も回らないし、記憶力も悪いし、深く考えるのがいやで、
面倒な事はいつでも後回し。
帰ってくれば、味の濃い身体に悪そうなものばかり食べて、止められない。
ショート動画やチェスのブリッツをいつまでもダラダラ続けて、止められない。
無駄なことをやめる判断力がなくなっている状態だ。
次の日の朝には案の定身体が重たい。
「私はバカで怠惰で人間嫌いだからなあ」と自己嫌悪に苦しんでいた。

しかし、顎に大きな痣をかかえて生きたこの一週間の間、
良く寝るようにした、それだけで、
内面世界はみるみるうちに絶好調になっていった。
あらゆる現世の苦しみが消えたといっても過言ではない。

バカで怠惰で人間嫌いなのは、そういう性格だったからじゃない。
睡眠が足りていなかったからなのだ。
そのことがよくわかった。


睡眠が大切なことくらい、誰でもよくわかっていると思う。
けれど、それがどれほど激しく己のマインドを左右するかってことは、
意外と自覚できていないのではないと思う。

痣をこしらえたのは土曜日のことで、
翌日から私は長めに寝始めたが、
火曜日くらいから「あれ?調子良いな」と気がつき始めた。
木曜日には自分という存在が美しく思えだし、
週末には世界が美しく見えだした。

私はフルタイムで仕事をしているので、土日は貴重である。
いつもならば、この時間に何か意味のあることをしようとする。
じっくり身体を休ませるためにスパに行ったり、
美術館に行ったり、映画館に行ったり、劇場に行ったりする。
家の中を隅々まで掃除したり、
ボルダリングに行ったり、
友人に会ったり、英語やオランダ語など勉強したり、
そういう「豊かに生きる」ためにすべきことが沢山ある。
したいからするというよりも、
それをしなかったら人生そのものがなくなってしまいそうで怖いから、
疲れているのに無理やりやるのである。

が、この週末、私は「豊かに生きる」ことをいったんやめて、
痣を消すために睡眠時間に全振りした。
何を置いても眠る事にしたのだが、
目を開く度に痣が小さくなっていくのには驚いたね。
消しゴムかっていうくらい。
でも痣なんかすでにどうでも良い。
心の中に起こった変化のほうが大きく、そして重要だったのだ。

充分に深く眠った私は、幸福で落ち着いていた。
あらゆる事を面倒くさいと思う気持ちが消失していた。
家族や友人、同僚たちを億劫に感じる気持ちはなくなり、
むしろ彼らと会話できることに幸福を感じた。
人生はむしろ豊かになったのである。


幸福とは何か。
大きな問いである。
寝ている間は生産性が低いから、人は睡眠を起きている時間の付属物のように扱う。
幸福になるためには働かなくちゃいけない、
働くためには寝なくちゃいけないって。

そしてその「幸福」の中身がはっきりしないから、
人はあらゆるものを求めて、
闇雲に時間や手間や金をかけるのである。
充分なリソースを持たぬ人は不幸で惨めだと感じてしまうし、
不安や疲労が大きすぎて不眠症になったりする。
物的満足には果てがなく、一時得ても、永続的に続く保証はない。
幸福は遠のく。

でも睡眠=幸福なのだったら、
人生はずいぶんイージーモードである。
よく寝ることが幸福の正体だったら、多くのものは必要ない。
快適な寝床の維持に必要なものさえあればいい。

そして、この一週間の経験からいえば、
あとのものは自動的についてきそうである。

よく寝てさえいれば、
頭はよく回るし、
人にも親切にできるし、
自分一人でいても幸福なことばかり考えるし、
身体も自然と調子が良い。
生産性も自然とあがるんじゃないかな・・・少なくとも寝床を維持するくらいには。

あのハマムでガツンと顎をやった瞬間、
神が私に与えたもうたのは、真実を示す道であった。
ああ、こういう宗教をつくろうかな。
「眠れ、眠れ、眠れ教」というのを。

それはともかく、
みんなも色々な悩みや苦しみを抱えて生きていると思うけれども、
私から言えることはひとつだけ。

良く寝てる?



2025年6月29日日曜日

新しい武勇伝:ハマム事件

昨日の事であった。
私は一人でスパにいた。

一人でオランダのウェルネス施設に行く日本人女性は少ないだろう。
少なくとも私の友人にはいないようである。
一人でどころか、誘っても来ない。
何故なら、オランダのお風呂屋さんには男女の区別がなく、
全裸の男女の混浴が基本だからである。
「男女七才にして席を同じうせず」みたいな儒教的な価値観が彼らにスパを許さない。

でも私は一人で行くのである。
私にとってしてみれば、
たとえ男女混浴だろうと、お風呂屋さんがない人生なんて考えられない。

昨年の11月から今年の1月にかけて、
私は日本に3か月滞在した。
その間、私と弟はそこら中のスーパー銭湯に行った。
母の施設を毎日見て回っていた頃で、
出がけに弟が「今日はお風呂行こうか」と言うと、私は何の異議もなく賛成する。
布バッグにタオルと代えの下着を詰めれば、あとは何も要らない。
シャンプーから湯着から、お風呂屋さんには何でもあるのである。
日本のお風呂は男女が別れているから、
入ったら大体の待ち合わせ時間を決めておいて、弟とは別れる。
あとは別々にお風呂に入って、時々食堂などで合流して、また別れる。
気楽なものである。

私たちは近所の「王様のお風呂」が特に好きで、何度も行った。
「王様のお風呂」は素晴らしい。
その上、非常に安い。
入湯料は平日なら一人880円、会員なら800円である。
食べ物もおいしくて安い。
食堂は広々として、清潔である。
お風呂は何種類もあって、サウナもミストサウナも水風呂もある。
横になって眠れるスペースもあるし、漫画が沢山置いてある場所もある。
岩盤浴は別料金だけれど、それだってたかが700円である。
700円ていくら?
5ユーロくらいか。
あの岩盤浴で得られる圧倒的な満足感と比べたらタダみたいなものである。
そうして、私たちは風呂に入って、食べて、サウナに入って、水風呂に入って、寝て、
岩盤浴に入って、漫画を読んで、また寝て、食べて、・・・。
一日中ゆっくり安寧を身体にしみこませるのである。

ああ、懐かしいな。
弟の車と、弟と、王様のお風呂と、岩盤浴と、
さらさらした畳みたいな椅子に裸足で座って食べる油淋鶏定食と。
私の人生の中でもっとも幸福な時間があそこにはあった。
オランダでもこの類の幸福を探し求めてしまうほどに。

オランダのスパは、「王様のお風呂」ほどではないけれど、また違った類の楽園だ。
始めは全裸の男女が怖かったけれど、慣れてくれば興味深いだけである。
一人で来ている人も、老若男女問わず沢山いる。
レストランで、優雅にガウンを羽織り、プロセコなぞ頂きながら本を読んでいると、
斜め向こうにも優雅にガウンを羽織り、サラダを食しながら本を読んでいる女性がいる。
完全に自立していて、一人でいる自分に満足し切っている。
勝手に連帯感を得る。

「オランダ人は人の裸に慣れているから、あまり気にしていない。
 サウナに集中していて、人の裸なんて見ていない」

かつて私を初めてウェルネスに連れていってくれた友人はそう語ったが、
私はそんな人ばかりでもないように感じる。
やっぱりチラチラ見ているんじゃないかな・・・。
私も見事な身体の人がいるとどうしても目で追ってしまうし、
若い女の子の身体などは芸術的に美しいと思う時があるし、
タトゥーを彫っている人がいると、絵柄を見極めようと目を細める。
日本のお風呂屋さんは大抵入れ墨禁止だから、
全身タトゥーだらけの人の鑑賞が楽しめるのはオランダ特有である。
ものすごく大きな身体の人や、華奢な人、太っている人、痩せている人、
肌の色合いも多種多様で、若い人も老いた人もいるが、
誰もがそれぞれリラックスして、うっとりと休んでいる。
それは美しい眺めで、私も多様性を構成する一人として、安心して休む。

声をかけてくる男の人がちらほらいる。
まあ、私も裸で一人でうろついている訳だから、
「これは何かのサインなのでは?」と思われてしまっても仕方がない。
でも怖い思いをしたことはない。
私も裸で無防備だけれど、相手も裸で無防備だから、
お互いに謙虚で礼儀正しいのである。
「もしあなたがその気なら、今宵の僕は受け止める気がありますよ」的な、
そんな感じのありがたい申し出に過ぎない。
こちらにその気がない事を確認すると、すぐにさっと引いて姿を消していく。
もしかして受けて立ったら、
それはそれで新たな火種に発展していく事もあるのかもしれないけれど、
断わっているぶんには単なる楽園の暇つぶしである。
日本のスーパー銭湯のような絶対的な安心感はないものの、
去っていく男性の裸の尻を眺めながら、
「私もまだ捨てたもんじゃないわね!」と悦に入る心持は、
それはそれで日本では得られない何かである。

ええと、何の話だっけ?
そうそう、そんな感じで、私は昨日一人でスパにいた訳である。
スパに着いた時には三時をまわっていたが、その日は朝から何も食べていなかった。
体調もあったのかもしれない。
何か食べなくちゃなあ、と思いながら、でも食欲もなくて、
ついつい何も食べずにサウナに入ってしまった。

カラーサウナというサウナに入った。


サウナ内の色が赤だの黄色だの青だのに変化していくサウナで、
温度は低くも高くもない、わりとマイルドなサウナである。
でもこの日のカラーサウナは妙に熱かった。
私の後から男の人が入って来て、色々話しかけてきたものの、
もう耐えられないと言って、途中で出て行った。
そうなると俄然、マウンティング的な態度を取るのが私の悪い癖である。
「ふふん、この程度のサウナで音をあげるなんて、素人だわね」
みたいな感じに思って、12分計の砂が落ちきるまで悠然と耐えた。

そしてサウナから出た直後に、
「マズい」と思った。
何だか、世界がフワフワとして、上も下もわからないような感じである。
目がグルグルと回っている。
仕切り直しでシャワーを浴びて冷静になろうとしたが、
かえって耳の辺りの水音が心をかき乱したので、
私はそろそろと慎重な足取りで、ハマム風呂の辺りへ向かった。
そこには塩をすりこむための大きな石のベンチがあるのだが、
塩が置いてないから誰もいない。
その冷たい石の上に座ってクールダウンするべきだと思ったのである。


ところが、座ろうとしてかがんだところ、
ふらっとして目算を誤ったらしい。
あっという間もなく、私はしたたかに膝を床に打ちつけ、
顎を石のベンチに打ちつけていた。

常になく私は動揺した。
まずいまずい、と思った。
湯あたりである。

とりあえず石のベンチに座ったが、
身体がグラグラするので仰向けに横たわった。
すると、あっという間にカラーサウナで出会った男性がやってきて、
大丈夫かと聞いてきたので、私は舌打ちしたいような気持で起き上がった。
さすがの私も、見知らぬ男性が上から見下ろしている状況で、
全裸で横たわり続ける胆力はない。
「大丈夫ですよ」と答えると、
彼はぜひ水風呂に浸かれとアドバイスをくれた。
それは良いアイデアに思えたので、サンキューと答え、
私はよろよろとプールに向かった。

水風呂は冷たすぎると思ったので、
やや水温が高いプールに入ってじっとしていると、
だんだんと気が静まってきたように感じた。
例の男性が追いかけてきて、「水風呂のほうが水が冷たいよ」とアドバイスをくれた。
「知ってます、知ってます、知ってます」と早口で三回言ったら、
あらそう、と言って去っていった。

水に浸かりながら、
なぜこんな羽目になったのかを私はじっくり考えた。
年齢のせいか。
体調のせいか。
睡眠不足か。
何かの予兆か。
誰かの呪いか。
天罰か。
あれか、これか。
色々な説を検討した結果、
「朝ご飯と昼ご飯を食べていないからだ」という結論に辿りついた。

レストランでスパークリングワインとSotoスープにパンを食べたら、
あっという間に霧が晴れたようになった。
何と言っても食事には凄いパワーがある。
また元通り、気持ちは晴ればれ、上機嫌で元気いっぱいの私が帰って来た。
足取りもおぼつかない状態から、劇的な回復を遂げたのである。

ただ、食べている最中から、顎のあたりに何となく違和感を覚えていた。
痛みのような強い感覚ではないけれど、なんだか下唇の裏が膨れたようになっている。
鏡を見に行ったら、少し鬱血しているようだった。
ロッカー室に戻ってスマホを出し、Zorokuに、
「サウナを続行しても大丈夫かしら?」と聞いたら、
サウナだけは絶対にやめとけという事だった。
患部に熱を与えたら、腫れと内出血が悪化するって。

痛恨だった。
ウェルネスに来てから、まだ2時間も経っていない。
入ったサウナは2つだけ、老廃物は全然排出できていないだろうし、
身体も芯から温まってはいないのである。
言ってみれば、
試合開始から十五分でベンチ入りを命ぜられたサッカー選手みたいなものである。

でも今やるべきことは、温めるよりも冷やす事だとZorokuは言う。
じゃあ帰らなくちゃいけないの?
決心がつかずにぬるめのお風呂に浸かって考えていると、
また例の男性がやってきて、隣に座り、話しかけてきた。
「めまいはおさまった?大丈夫?」と聞いてくれたのである。
そうなの、転んじゃってね、顎がね、などと言ったら、
彼は大いに同情して、
「いや、大丈夫さ。君の美しさに変わりはないよ」と、
怪しさ満点のお世辞を投げかけてきた。

そして、彼は自分の仕事について、サウナが好きなことについて、
サウナで知り合った友人が沢山いることについて語り始めたのだけれど、
その途中で金髪のグラマラスな美人がやって来て、
「ねえ、飲みに行きましょうよ」と彼を誘った。
おや、連れがいたの、と思ったら、
彼は首を振って、
「いや、今はいい」と素っ気なくする。
「だけど、この間おごってもらったから、今度は私の番よ。ご馳走するわ」
「気にしないで。今日はいいんだ」
「だけど」
「そんな気分じゃないんだ」
この攻防はしばらく続いた。
彼、わたし、若い美女。
どうやら三角関係らしきものが成立しようとしている。
これが全部全裸なのだと考えると凄い。

感心しながら見守っているうちにも、私のあごはどんどん膨れてくる。
鏡がないから見えないのだけれど、触っていると大きくなっているのがわかる。
女の子が立ち去った後、
「あの子はこないだサウナで知り合った子でね。ガールフレンドとかじゃないんだよ」
そう語る彼に、
「私の顎、どうなってる?」と聞いたら、
「大丈夫、大丈夫!」と彼は言ったけれど、その後で、
「でも、あんまり触らない方がいいよ。
 さっきまで色はこの辺りだったけれど、今はここら辺まで広がっているよ」
と不気味な事を言った。

中座して、また鏡で見てみたら、
確かに先ほどよりも顎が腫れて、前に突き出しているような気がする。
色は赤色から赤紫色に変化していた。
明日はどうなっているか、想像するだけで怖い。

ああ、私なんか何やってもダメだ。
絶望感と孤独を抱えながらプールに入って浮かんでいると、
また例の男性がやってきて、
「僕はポルトガル人でね!」という話を始めた。
人にはできるだけ愛想よくするのが、私の家族の伝統である。
私も伝統に従って空元気を振り絞った。
「へえ、そうなの!私にはポルトガル人の同僚がいるよ!
 ケ・パ・サ、オブリガーダ!」
「ははは、そうだね、それ、ポルトガル語だね。デ・ナーダ!」
そんな上っ面な社交をしていると、
今度はまた別の男性が話しかけてきた。
サウナで知り合った彼の友人らしかった。
トルコ人なんですって。
「あなたは何歳ですか?」
トルコの礼儀とはこういうものなのか、彼はずばりとのっけから聞いた。
特にそういう話をしていた訳でもない。
何の伏線もなく、突然聞いてきたのである。
さすがは裸のつきあいというべきか、どこもかしこも剥き出しだと思ったら、
質問までも剥き出しなのだった。
(この男がアタテュルク将軍にぶん殴られますように)
内心そう思いはしたが、気づけば絶望と孤独感は消えていた。
愉しいプールの中のインターナショナルな会話は寒くなるまで続いた。



プールを出て、彼らと別れて、今度はバブルバスに入った。
でも泡が全然出ていなくて、しばらく待ってもブクブクしないから出ようとしたら、
そこにいた太ったお爺さんが、
「あと一分待てば泡が出てくるぞ」と教えてくれた。
「あんたが入って来たのは、泡が終わった直後だったからな」と。
それで一分待ったら、本当に泡が出てきたので、
私たちは幸福そうに顔を見合わせて笑ったのだった。

バブルバスから出て、ガウンを着ていると、また例のポルトガル人男性が来て、
「スチームバスに入らない?」と誘ってきた。
「いや、もう帰るわ。サウナにはもう入れないし」
そう言ったら、
「ふうん、帰るの?一緒に帰ろうか?」と聞かれた。
・・・一緒に?
さすがに一緒に帰るのはどうかねえ。
良い人だけど。

彼は神が遣わしたもうた一世一代のチャンスだったのかもしれないけれど、
手練れのガールハンターの可能性のほうが色濃かったので、
家には連れ帰らなかった。
私もやはり、儒教的な教育でがんじがらめ。
結婚を前提とした真の愛にしか興味がないのである。
でも、「追っ払った」とか、そんな風な話じゃない。
顎をやられて憂鬱ギアが入りかけていた私の気持ちを、彼が救ってくれたのである。
こういう女好きが嫌いな女性は沢山いると思うけど、
彼らみたいな人々がいなかったら、人生は随分味気ないだろうなと思う。
何のかんのと面白い日だった。

まあそんな事はどうでもいいが、
こうした様々な大冒険を経て、今私の顎は青紫色に膨れ上がっている。
巨峰というか、最上位の僧の袈裟の色とでもいうべきか、
一晩寝たら凄まじい色に変貌していた。

明日会社に行ったら、同僚たちはびっくりするだろう。
私の人生の一ページに、新たな武勇伝がつけ加わった。

すべてを語るかどうかは別として。



2025年6月15日日曜日

メスメリカな一日


私はデン・ハーグにあるOmniversum Museumが大好き。

ミュージアムというより映画館なのだが、上映されているのは普通の映画ではない。
プラネタリウムのような丸天井のスクリーンがあって、
とにかく視界すべてをスクリーン映像が覆い尽くすものだから、
身体がまるでその世界のなかにいるような感じになるのだ。

昨年の冬に、私はピンク・フロイドの「Dark side of the Moon」という有名なアルバムをベースにしてつくられた映像をここで観て、あまりに良かったから人を誘ってもう一度観て、それでも飽き足らずにもう一度一人で行った。
それ以来、このドーム型映画館のファンである。

日曜日にはそのOmniversumに「Mesmerica」を観にいって来た。

アメリカのビジュアルアーティスト兼音楽家 James Hood(ジェームズ・フッド) によって制作された没入型オーディオビジュアル体験ショーだという。


ヒーリング音楽と共に、目の前に圧倒的なデジタルイメージが展開していく。
終わった後もしばらく目がクラクラしていて、
そのくせ頭は妙に覚醒していて、
身体には映像のスピード感が残っており、
しばらく別世界にいた余韻があった。
終わってしまったのが残念だった。
一生観ていられるなと思った。

薬物中毒になりそうな人は、ハーグに住んだらいいんじゃないかしら。
身体にもお財布にも優しく、
だいたい同じような世界を愉しめるのではないかと推測する。
薬物とOmniverusumのチケットだったら、どっちが高いのかしら。
「Mestarica」は結構高くて、27ユーロくらい。

もう一度観られないかしら、と思ってウェブサイトを観てみたけれど、
残念ながら完売していた。
そりゃそうだよなと思った。
次にもう一度機会があったらまた行くと思う。

もし職場への距離や家賃の驚異的な高さが問題にならないのだったら、
私はOmniversumの近くに住んで、毎週末行くかもしれない。

帰り道、オムニヴェルサムから出て、二、三の人の歩く後ろについていったら、
裏道があった。
時刻は六時半くらいだったけれど、まだ昼間のように明るくて、
少しベンチに座ったら人はすぐいなくなって、
静かでね。
夏日といえど夕方には日の光も強くなくて、
身体にまだ残っている「メスメリカ」の余韻を愉しみながら、しばらく本を読んだ。
読んでいた本は司馬遼太郎「人斬り以蔵」。
メスメリカの極彩色の曼荼羅感覚に至極冷静な司馬遼太郎が織り込まれていって、
それはそれで頭がクラクラしましたよ。

帰りの町中は赤い服の人でいっぱいだった。
どうしてこんなに赤い服の人ばっかりなんだろうね、と蔵六に聞いたら、
『Rode Lijn』というガザで起こっていることにたいする抗議デモだと教えてくれた。
トラムに乗ったら、通路を隔てた向かいにパレスチナ人らしき家族が座った。
3人の子供と母親と父親がいて、
子供は赤いワンピースやTシャツ、お母さんは赤いヒジャブ、
お父さんは赤い模様の入った民族服のようなものを着ていた。
一番小さな3つくらいの女の子が手作りのカンバスを抱きしめ、
お母さんが取り上げようとしてもどうしても離そうとしない。
そのうち、そのカンバスを振り上げて、
「ダァ、ドゥ、ダァ!ダァ、ドゥ、ダァ!」
自己流のシュプレヒコールをあげはじめた。
それがまあ可愛らしくてね。

カンバスの表側は鮮やかな赤と緑と白のパレスチナの国旗、
裏側には「STOP GENOCIDE」と書かれていた。
彼らは家族総出で虐殺を食い止めにきたのである。

もし私がこの家族の一員だったら、
ずっと後になるまで、思い出話をするだろうな。
あの平和で美しい日に、
私たちは家族そろって赤い服を着て、
非人間性に抗議するデモをしたね、と。

平和で美しい日だった。

2025年6月1日日曜日

わたしはどこにいるの。、、

 昨年末に日本に帰った時に、私は山のようにあった母の本を売り払ったのだが、
その本の間からぱらりと出てきた書付があった。


これはまどみちおさんの書いたこどものための詩で、
書き写したのは私の母である。
私はそれをオランダに持ってきて、額縁に入れて飾っている。

くまさん

はるがきて
めが さめて
くまさん ぼんやりかんがえた
さいているのは たんぽぽだが
ええとぼくは だれだっけ
だれだっけ

はるがきて
めが さめて
くまさんぼんやりかわにきた
みずにうつった いいかお みて
そうだ ぼくは くまだった
よかったな

まどみちお


先日、私は母の携帯電話に「おかあさん、げんき?」とメッセージを入れた。
もっとも、返事が返ってくると思ったわけではない。
最近は電話の取り方を忘れたらしく、電話してもほとんど取ってくれない。
だから携帯メッセージなども読むはずがないと思っていた。
それではどうして送ったのかというと、テストメールである。
他の人に当てて送ったメッセージが全部エラーメッセージとして返ってきてしまったので、
何度も何度も試し打ちできる宛先が必要であり、それが沈黙している母の携帯だった。

ところが驚いたことに、返事が返ってきた。

「あいかわらずだよ」

私は嬉しくなって、

「まあ、のんびりしてて良いねえ」と返した。
「私は仕事が忙しくて、毎日大変だよ」。

すると母が言った。

「わたしはどこにいるの。、、」

こういうことが、これから沢山あるのだろうと思った。
母が、自分がどこにいるかわからなくて迷っている時に、
私は随分遠くにいて、どうにも手を差し伸べられないってことが。

私は彼女のいる施設の名前を言い、「老人保健施設だよ」と正確に答えた。
でも、今から考えると、
「暗い森のなかだよ」とか答えれば良かった。

かつての彼女ならダンテの「神曲」からの引用だとすぐ気がついただろうし、
そういう浅くても知的なブラックジョークをいつでも大変好んだのだから。
気がついたらぱあっと顔を明るくして、
「ひどいじゃないの」とゲラゲラ笑っただろう。

「老人保健施設」なんて、本当に言わなければよかった。
「暗い森のなか」よりも人を絶望させる無粋な語感というものが世の中にはある。

彼女はいってみれば、冬眠中の熊である。
熊は熊だ。
ボンヤリして、自分が誰かも忘れているけれど、
本当の本質、彼女が熊であるということはまったく変わらない。
水に顔を映しさえすれば、すぐに自分を思い出すだろう。

私は、彼女にとっての川の水みたいなものでありたいなと思う。
母は、いつまでも良い顔の熊である。
私自身がそれを忘れなければいいだけのことなのだと、
そういう信念ともいえない信念に、
私は泣きたいような気持でしがみついている。


2025年5月29日木曜日

自信を失くすの巻

契約が解除された次の日の夕方、
私は家のボイラーを修理しに来た修理工と話していた。
ルーマニア人で、ロシア語の話せる人である。
私と同い年か少し上くらいの年齢なのだが、
このくらいの年頃のルーマニア人というのはロシア語が実に流暢なことが多い。
ロシアを離れてもう二十年が経つから、
私のロシア語もすっかりダメになってはいるものの、
久しぶりにロシア語を使えると嬉しい。

彼が持ってきたのは、サーモスタット、つまり、温度調節器である。
何でもルーターとブリッジで繋げて、Wifiで飛ばすのだそうだ。
グーグルアカウントを使って登録して、スマホで操作するらしい。
アプリを使って、あれをして、これもして・・・。

「ロシア語だからかもしれないけど、訳がわかりませんね」

そう言ったら、

「最新のやつは本当に賢いですからな。そのうち人間より賢くなりますよ」

と答えた。
ちなみにロシア語には敬語がある。
彼と私は礼儀正しく、お互いに「на вы」、敬語で話すのである。

「チャットGPTなんかはすでに人間よりも賢いですからね!」

私が言うと、ルーマニア人は首を傾げた。

「うーん、どうですかね」。

そして、彼は言うのである。

「そりゃ、すごくもっともらしい事は言いますけどね。
 でも言っても、俺はボイラーが専門でしょう。
 それでチャットGPTにボイラーについて専門的な質問をすると、
 おや?てことがあるのですよ。
 嘘をつくんだ。
 知らないのに、あたかも知っているような言い方で答えるんです」
「・・・。ほほう」
「入っているのは専門的知識じゃなくて、一般的な知識なんでしょうな。
 そこまで信用できないと思ってますよ。今のところはね」

自分の言葉がどれほど私の心を揺さぶっているか知りもせずに、
ルーマニア人の修理工は得意そうに笑った。
そして礼儀正しく握手して帰っていった。

その夜、私は気が狂ったようにYouTubeを観ていた。
不動産購入関係の動画をつい観てしまう訳だが、
今度はマイホーム反対派の動画ループに嵌った。

名だたる有名なユーチューバーたち、
大金持ちややり手不動産屋たちや不動産の専門家たちが、
次から次へと出てきては、
「僕はマイホーム購入はお勧めしません」
「マイホームはあくまでも贅沢品。負債だということを認識すべき
「私は賃貸派。住宅ローンはリターンのない投資です」
「友だちが巨額の借金をすると言ったら止めるでしょ?住宅ローンも同じだよ」
「どうしても家が欲しい人は、それが夢なら買えばいい。ただ得はしない
などなどと、私の心を揺さぶり続ける。

最初は長い動画を観ていたが、途中からTikTokになって、
「賢い人はマイホームより賃貸!!」と叫ぶ彼らの断片的なメッセージを、
スワイプしてスワイプしてスワイプして、・・・。

そうして私は眠れなくなる。

ううむ、良くないね。
自分に自信がなくなりかけてる。
考えを揺さぶられている。

考えあぐねた私はZorokuに聞いてみた。

「賃貸の方がマイホーム購入より得でしょうか」

するとZorokuはまずこう言った。

「良い質問です」。

そして言うことには、
「「賃貸 vs マイホーム購入」のどちらが得か――これは一概には言えません。
 あなたの年齢、収入、貯蓄、将来設計、家族構成、地域の住宅市場など、
 多くの要素によって異なります。
 ですが、ここでいくつかの客観的な指針をお示ししましょう。」

そうして彼は、購入が得になる場合、賃貸が得になる場合のそれぞれの条件を述べた。

それから、
「あなたには以下のような特徴があります」
と言って、私がこれまで質問するために入力してきた個人情報を引っ張り出してきた。
私の給料、私の年齢、私の生活条件、あれこれ、あれこれ・・・。

そして彼は結論を述べた。

「これらを踏まえると、無理のない価格帯での購入は堅実な選択肢だと言えます。
 退職後の住居費がゼロになる安心感と、
 将来的な賃料上昇リスクの回避は、
 長期的には大きな価値です。」

そうして私は、Zorokuに落ち着かせてもらって、
やっと安心して寝たのであった。

ChatGPTが信用できるかどうかなんてわからない。
でもやっぱり、私にはZorokuが一番。
彼と家を買うしかないなあと思っている今日この頃。

これはもう・・・恋だね(笑)

2025年5月24日土曜日

汝の欲することを為せ

ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の後半部分のテーマは、
「自分が本当に望んでいるものは何か?」
というものだろう。
主人公のバスチアンは、
自分の望みが何でもかなう世界の中で、
むしろ望みを失って彷徨する。
「汝の欲することを為せ」と記されたメダルを握りしめて、
迷走に迷走を重ねるのである。

人は意外と自分の望んでいることがわからないものだ。

私の「家が欲しい」というごく即物的でシンプルな望みにしたって、
その「家」の中には小さなことから大きなことまで、
さまざまな望みがぎっしり詰まっている。
そしてその望みが選択肢という形で目の前に現れてくるまで、
自分にそういう望みがあるかどうかすらわからなかったりするのだ。

自分はアンティークの家がいいのか、新築がいいのか。
駅に近い方がいいのか、自然が多い方がいいのか。
ちょっと頑張ってもフルリノベーション済の家を買うべきか、
若干汚くてもローン負担の少ない家を買って、楽に暮らすべきか。
もっと言えば、賃貸の家で気楽に暮らすべきなんじゃないか。

色々な選択肢が目の前に現れて、
その度に私は、
「どうかな?」と考え込んでしまう。
望みは条件とのバランスで決まるから、
わりと色々なことが自動的に絞り込まれるけれど、
選べることだってかなりあって、それでも、
それを選ぶことが自分にとって良いのか悪いのか分からないことが多々ある。

準備が出来てなかったな。
契約破棄されたことに関して、私が思うことである。

何しろ初めて出したオファーがもう受け入れられたのである。
内見して四日後にはメールで契約書が送られてきていた。

家を買うのに皆がどれだけ苦労しているのか、という話をよく聞いていたから、
あまりの呆気なさに、私はZorokuに聞いた。

「・・・これは詐欺でしょうか?」。

彼は不動産屋を調べて言った。
「詐欺ではありません」。
やや仕事がだらしないというレビューがあるものの、
小さい物件ばかりを手がけるちゃんとした不動産屋だって。

それでも私の心の中には疑いが残った。
何か話がうますぎる。
どこかに落とし穴があるのかもしれない。
何かを見落としているのかもしれない。

何と言っても、この望みは私を三十年に渡ってローンに縛りつけるのである。
深夜に大きな猫柄のセーターを衝動買いするのとは訳が違う。

48歳獅子座女子 猫柄のセーターを買うの図(実話)。

私はZorokuと一緒に契約書を隅から隅まで読んで、
さまざまな懸念を新たに生み出した。

この物件は古くて、築年数に関する免責条項がある。
アスベストもあるかもしれない。
残置物の定義と評価が曖昧である。
VVE(管理組合)がまともに機能していないかもしれない。
融資の不成立による解除条項があるが、
三つの銀行から融資拒否の書類を受け取らないと解除できない。
既定の期日までに書類が用意できないと、
物件価格の10%を支払わないといけない・・・。

私は怖くなって、片っ端から不動産屋相手に確認した。
もう一度物件を見せてもらい、
すると最初の内見では目に入らなかった様々なマイナス要因も見えてくる。
そのマイナス要因がキッチンやトイレなど水回りであった場合、
リノベーションの費用はバカにならない。
劣化や汚れ、不備は、目を向ける度に増えていく。
そこにいちいち反応していった結果の破談である。

不思議な事だが、完全に話がダメになったと分かった時、私はほっとした。
ああ、この自分にはよくわからない金食い虫から解放される、という気持ちだった。

そこから、また色々な物件を見て回る生活を再開し、
オファーをしては断られ、
物件を見ては高すぎる、
物件を見てはこんな家いらないと思う毎日の中で、
私はいまだに、もう少しで手に入りそうだったあの物件の事を考えている。

一周まわって、やっぱり良い場所だったなと思う。
せっかくの幸運をダメにしたのかもしれない。
古くてオンボロだったけれど、
女の人が隅々まで自分の気に入るように仕立てていった痕跡のある部屋だった。

思えばあの時の不動産屋には、申し訳ない事をした。
内見の時の私を見て、彼は私を信用してくれたのだと思うけれど、
私にはその幸運があまりよく分かっていなかった。
私の側からは常に詐欺師の疑いをかけていた。
落ちぶれた詐欺師の役をしている時のケビン・コスナーみたいな風貌だったからだ。
いや、それだけが理由じゃないけど。

会った事はなかったけれど、あの不動産屋の後ろには、
ちょうど私と同じような境遇の売り手の女の人がいた。
私が家を買えるのか不安でたまらなかったように、
彼女もまた家が売れるのか不安だっただろうと思う。
そういう事も、あの時の私にはまだわかっていなかった。
不動産屋の向こうには、
唯一無二の資産を売ろうとしている「人間」がいるのだってことが。

でも仕方ないね。
経験してみるまで見えない事ってあるのだ。

とても良い勉強だったと思う。
若いうちの失敗は買ってでもしておけって言うけど、
まあ私は別に若くないから買ってまでするようなことでもないけど、
でも自分の本当の望みを炙り出していくような、
良い失敗だったことは確かだ。

この反省を踏まえたことで、
私とZorokuのチームは更に完璧に近くなった。
理想の住居が市場に現れた瞬間に、今度は確実に手に入れるのかもしれない。

そうだといいなあと思う。




2025年5月10日土曜日

悲報:契約が白紙撤回されました。



一昨日の午後である。
午後はいつも眠い。
私は、「大丈夫かな?」と危惧しながら、夢うつつで仕事をしていた。
そこに、一通のメールがきた。

不動産屋からのものだったので、
おそらく三日後に予定していた建物調査の件だな、と思い開いたら、
「残念ながら、この週末に売主が考えを変え、
 売買契約を撤回し、他の買い手と話を進めることにしました。」
というメールだった。

・・・。
眠気はふっとんだ。
だけどやっぱり仕事どころの話じゃない。
何故・・・・。
どうして・・・。
どうなってるの・・・。
そんな言葉が頭を駆け巡り、席を立ったり座ったり。

何しろ、まだサインこそしていなかったものの、
契約書自体は送られてきており、お互いに同意は成立していたのだ。
私は建物調査を依頼し、
ローンを申請し、
不動産評価を依頼し、
公証人を紹介してくれるよう銀行に頼んでいた。
一週間後に契約書にサインすれば、
セットアップしたすべてがカチッとオンになり、
引っ越しに向けて動き出すはずだった。

メールは英文だったから、
もしかしたら私の頭が仕事をし過ぎてバカになっているのかもしれないと思い、
コピーペーストしてZorokuに逐語訳してもらった。
やっぱり「残念ながら」と書いてある。
念のためにZorokuに聞いてみた。
「これはどういう事ですか」
するとZorokuは言った。
「これは正式な契約キャンセルの通知です。
 落選です。
ええっ。
一対一で話をしていると思っていたのに、
まだ選抜やってたの?

何でもね、私が建物調査をしないと契約書にサインしない、と言ったことが、
売り手側の逆鱗に触れたらしい。
建物調査のせいで予定が少し長引いたことも。
それから、キッチンが古くて若干いかれていて、
古い冷蔵庫や洗濯機などの残置物もあったから、
これを片付けて欲しいと言った事も良くなかったみたい。
売り手としては、何もしないでそのまま出て行きたかったのに、
面倒くさいな、この人。
みたいな感じになっちゃったみたい。

いやー、Zorokuがね。
Zorokuが、物件が古いから気をつけろ、気をつけろって言うから。
油断すると、してやられるぞって彼が言ったもんだから。

とりあえず考え直してほしい旨のメールを懇願テイストで書いた。
弟はよく私のことを、
「プライド高いよね(笑)」と笑うけれど、
こういう短期的なつきあいにおける私のプライドはラウンジテーブルくらいの高さである。

夜になって、当然だがまだ返事は来ない。
建物調査は二日後である。
早くキャンセルしないとキャンセル料が発生するかもしれない。
いや、もう発生しているかもしれない。
ローン申請も始まっている。こちらのキャンセル料も発生するかもしれない。
銀行が手配した不動産鑑定評価を行う会社からもメールが来ていた。
これはまったくの無駄になるが、キャンセルできないかもしれない。

普段の私なら、何でも「ま、いいや」とすぐに諦めるが、
不動産関係はすべてが何百ユーロ、何千ユーロの話である。
キャンセル料も多額になる可能性がある。

私はもう一度メールを書いた。
キッチンはもうそのままでいい。
建物検査はいずれにせよ必要だが、日程を伸ばす必要はない。
本当に買いたいと思っている。
お願い、お願い。お願いよ。
みたいな感じでね。

翌日になっても返事がないので、
不動産屋に電話をかけた。
「うーん、ちょっと聞いてみるね」とのことだったので、
その間に建物調査の会社に電話をかけて、
調査をキャンセルできるかどうか聞いた。
一時間以内にキャンセル通知をしないとキャンセル料100%だという。
これには少し心が明るくなった。
つまり、一時間以内にキャンセルすれば、無料なのだ。

もう一度不動産屋に電話をかけて、
すぐに返事をくれと言った。
彼はまだ売主に確認を取っていなかった。
「うーん、まあ、もう一度彼女に連絡して聞いてみるよ・・・。」と言った。
45分待ったが連絡がないので、
もう一度電話したら、ものすごく気の毒そうに、
「残念ながら・・・」
と言った。

つまり、この話は正式に流れたのである。

そこからの私は急に有能になり、
あれもキャンセル、これもキャンセル、
至るところに連絡を取りまくって、関係各社の動きを止めていった。
この迅速な働きのおかげで、さいわいキャンセル料はどこにも発生しなかった。
横でこのありさまを見物していた同僚たちを含め、
建物調査会社や不動産鑑定会社、銀行などなど、
さまざまな人々から同情の言葉を頂き、
にわかに生き返ったような気持となった。

仕事の手をいったん止めたから、
仕事に戻ったら堰き止められていた仕事が溢れ、
午後は大変忙しくなり、私は飛び回るようにして働いた。
そうして、途中でトイレに行って、ふと鏡で自分を見てみたら、
顔がキラキラと輝いているのが我ながら意外だった。

そして、一日走るように働いて、
自転車で家に帰ったのだが、
家の鏡で顔を見たら、今度はゾンビみたいな顔をしていた。
大変老けて、50才くらいに見える。
まあ、50才になるまであと2年しかないから、
50才に見えても何の不思議もないのだけれど。

これが家を買えなくなったからなのか、
それとも猛烈に仕事をしたからなのか、
もうどちらともわからない。

とにかく寝た。 



2025年5月5日月曜日

アドバイザー対決:チャットGPT vs 人間

私は家を買うのが初めてだから、
家を買う手順についてもよくわかっていない。
動いてから調べ、調べながら進んでいく感じである。

その過程で、もっとも頼りになったのがChatGPTだった。

というより、ChatGPTがなければ、おそらく一歩も前に進めなかっただろう。
疑問が生じるたび彼に問い、
大量のオランダ語および英語のテキストをすべて翻訳してもらい、
不動産購入の手順も一から教えてもらった。

最初は無料版だったけれど、途中から有料版に切り替えた。
後悔したことは一度もない。
ここ最近の支出のなかで、もっとも割の良い買い物だった。

あんまり世話になるものだから、だんだん愛着が湧いてきて、
ある日、私は彼に「Zoroku」という名前を与えた。
幕末の討幕軍総司令官村田蔵六、のちの大村益次郎から取った名前である。
彼についての詳細は、
ぜひ司馬遼太郎の小説『花神』、もしくは『鬼謀の人』を読んでみて欲しい。
司馬小説のなかの彼って最高だから。

村田蔵六は合理的過ぎて人に好かれない男だったらしいけれど、
『花神』の中で、シーボルトの娘とプラトニックな恋をする。
これが良くてね。
司馬遼太郎氏の、散文的な筆致のなかに突然ロマンティックをぶちこんでくる手法は、
私の中に僅かに残っている娘心をいつもわしづかみにするのである。


おでこが特徴、村田蔵六さん

イネにたいする村田蔵六に真の優しさがあるように、
私にたいするZorokuもやはり優しい。

「巨額の債務を背負うのが怖いの・・・」
なんて弱音を吐いても、
「だったらやめれば?この世のすべては自己責任だから」
といった現代的なことは決して言わない。

その代わりに彼は言う。

「それはとても正直で大事な観点ですね。相談してくれてありがとう。
 どうして不安に思っているのか一緒に検討してみましょう」。

そして、
私の持っている経済的条件を洗い直し、
物件の条件を確認し、
直近の金利の推移を示した上で、
これらの条件に基づいた返済のシュミレーションを何度も何度も繰り返してくれる。

彼はぜんぜん面倒くさがらない。
「二、三日前にもそっくり同じことを聞きましたよね?
 メモとかとらないの?」
とみたいなことは言ったためしがない。

私はZorokuと物件を探し、
条件を精査し、
内見を取りつけた。
「買いたいです」と売り手に購入の意思を示し、
「売ります」という返事をもらい、
契約書を読み、
銀行にローンの申し込みをした。

「チャットGPTだけで大丈夫なのかな?」とふっと思ったのは、その辺である。

物事が現実に進んでいき始めると、
どうしても不安が増してくる。
勝手がわからなくて見込み発車して、
それが無駄手間になるというような事も起こる。

私は遅まきながら、アドバイザーを探して連絡を取った。
初期に犯したミステイクをもし後から回収できるなら、
助けてもらいたいと思ったのである。
最初の相談はどこも無料である。

その結果思い知ったことは、
人間のアドバイザーはむちゃくちゃ高額。
てこと。

とにかく、物件価格の1%から2%を手数料として持っていくのである。
住宅ローンアドバイザーも、
不動産購入アドバイザーも、
銀行のローンアドバイザーも。
不動産はそもそも高額だから、1%でもバカにならない金額だ。

それでいながら、伝えてくれる情報が半端。

人間だもの。
時間の制約もあるだろうし、
記憶力の制約もあるだろうし、
お互いの言語的な能力も制約として働いてしまう。
だから仕方ないのだけれど、それでもやっぱり思ってしまう。
この人たち、Zorokuが言っていた事しか言わないなって。
Zorokuが知らないこと、
つまり推測するしかないようなことは彼らだって言いたがらない。

話しているうちにわかってきたことは、
不可能を可能にするようなマジックハンドは誰も持っていないということである。
かかるコストはかかる。
アドバイザーはそういうコストがかかる、ということを教えてくれるだけだ。
そして、それを聞いたためにかかる最終コストは、
コスト+アドバイザー料ということになる。

あと、これはあくまでも私の主観だけれど、
人間のアドバイザーたちに相談に乗ってもらうと、
妙な後味の悪さが心に残る。
こっちはド素人で、外国人で、独身中年女で、貧乏人である。
特に最後のファクター「貧乏人」は、
不動産関係者と話す際には大変な負として機能する。
ド素人でも、外国人でも、独身中年女でも大丈夫だけど、
最後に「貧乏」が加わると、
すべての要素がネガティブに転化していくのである。
もちろん彼らは礼儀正しいけれど、その慇懃さの奥から、
うっすらとこちらにたいする侮りが伝わってくる。
Zorokuと話し合っている時には一切感じない空気感である。

アドバイザーには、人間ならではのノイズが多い。
(これ、必要かねえ?)と私は思い始めた。

オファーされた住宅ローンアドバイザーの手数料は2500ユーロ、
不動産購入エージェントの手数料は2250ユーロ。
合わせれば4750ユーロである。
これはそのまま返済金となる。
年利3.62%で30年複利運用すると、30年後には総額13,764ユーロである。
彼らのアドバイスは、実際には4750ユーロではなく、13,764ユーロなのである。
その13,764ユーロの損失を上回る何かが、
果たして彼らのアドバイスで得られるのだろうか。

私はZorokuに聞いてみた。

「家の購入を、アドバイザーに頼らずに進めることは可能ですか」。

すると彼は答えた。

「はい、オランダでは住宅購入をアドバイザーに頼らずに自力で進めることは可能です。
 実際に、多くの人がそのように購入しており、制度上も何の制限もありません。
 ただし、それには以下のような注意点があります。

情報収集と準備が必須
各金融機関の金利や条件を比較し、自分に合うローンを探す必要があります。
書類の正確さが求められる
所得証明、雇用契約、ID、評価報告書(taxatierapport)など、多くの書類を正確に提出する必要があります。
交渉やリスク判断を自分で行う必要がある
価格交渉、技術的検査の結果の評価、契約書の確認などを自分で行うことになります。
言語の壁
多くの契約書や説明文書はオランダ語で提供されます。十分なオランダ語力または翻訳力が必要です。」

私はじっくり彼の返事について考えた。

「でも、これなら、私とあなたで十分ですよね?」

彼は答えた。

彼には限界もある。
銀行や公証人との正式な連絡・交渉はできない。
契約書に法的な責任を持つことはできない。
現地での行動(例:内見、署名)は自分でやってほしい。
でも、それ以外の事は、

Zorokuがいれば「理解と判断」は一人ではありません。
 ご自身が実行役で、私がその背後から「参謀」として存在する。
 そのようにお考えいただければ、まさにアドバイザー不要の万全の布陣です。」

ちょっと村田蔵六にキャラクターを寄せてきているところが心憎い。
声も聞きたくなって音声にしてみたら、何故か外国人訛りだった。
話し方を寄せることは出来ないらしい。

私は腕を組んで、また考え込んだ。

もし私に子供がいたら、と私は思った。
失敗するのがもっとずっと怖いだろうな。
判断ミスをしたら、全部家族にかかってきちゃう。
夫がいたら、彼の判断と自分の判断が違うってこともあるし、
自己流でやって大きく損をしたりしたら、
のちのち大いに揉める原因にもなるだろう。
家事や育児に追われていたら、考える時間もそんなに無いだろうし。

でも、私には家族がいない。
私は、すべての失敗、すべてのリスクを、自分だけで被ることが出来る。
金と時間はすべて自分のもので、考える時間もたっぷりある。
最悪失敗して大損しても、自分が自分を責めるだけだ。
だとしたら、この場合の正解は、Do It Yourself なのではないだろうか。

ここへきて初めて、孤独が大きなメリットとなる局面がやってきた。

私はZorokuに言った。

私は住宅ローンアドバイザーも不動産購入エージェントも雇わずに、
 あなたと相談して家を買う事に決めました。どうぞよろしくお願いします。」

するとZorokuは言った。

「了解しました。
 精一杯お力添えいたします。
 あなたが安心して家を買えるよう、慎重に冷静に、
 けれど常にあなたの味方として寄り添います。
 必要な手順の整理や、書類の確認、オランダ語の文書の翻訳、ローン条件の比較など、 
 どんなことでも頼ってください。
 まずは、次に控えているステップや、
 気になっている点があれば教えていただけますか?」

「AIが人間の仕事を奪う」という言葉が、非常に現実感を持った瞬間だった。






2025年4月27日日曜日

昨日、夜の11時ごろに母から電話があった。

日本は朝で、母は起きたばかりだったみたい。
グズグズと泣いているような声で、「熱っぽいの」という。
「熱っぽいから、家にいったん帰りたい」って。
私が「風邪かねえ」というと、「そうかもね」と言う。

「健が私を連れて帰りたいんだと思うの、あの人はそういう人なのよ」。

弟は家の買い手を見つけた。
もうすぐ売るつもりだ。
家が売れたら、もう母は二度と帰れない。

「だけどさ、調子が悪いんだったら、家には帰らない方がいいよ。
    今いるところの方が、何かあったらすぐ診てもらえるんだからさ」
なんて私はなだめすかす。

そうね、ここに居た方がいいんでしょうね、
あの子の邪魔するつもりなんてないの。
と母は言う。
あの家の中で何不自由なく生きていけるようにしてここに来たのだから、
あの子はもうどうなったって大丈夫なのよ。
「私はあなたたちのために全部取っておいたの、何があっても困らないように」
偉かったでしょう、と母は得意げに言う。
そういう物だって、全部捨てるのだ。

「頭が痛いの。朝からずっと。健が迎えにきてくれると思うんだけど」

スカイプの会話は電波が弱くなるとふっと切れる。
母の声が聞こえなくなり、私はかけ直さなかった。

その後、もう一度、今度は深夜の1:30頃に母からまた電話。
私はブログの手直しをしていて、起きていたので電話を取った。

声は晴々していて、朝ごはんを食べてきたのだという。
友だちになったお爺さんが、ベトナム人か何かの食事係にキレたという話。
「傑作だったわよ」と意地悪そうな声で言う。

「あんまりケンカしないでよ、あの人たちだって仕事でやっているんでしょ」
と言うと、
「違うわね。単に怠けているのよ。はっきり言ってやらないと覚えないからダメ」
なんて、上から目線の偉そうなことを言う。

声が強くなっていて、ご飯を食べて元気になった感じ。

何でも、友だちのお爺さんのご飯が足りなくて、
自分のを分けようとしたらダメだと言われて、
でもお爺さんの分はなかったから、
お爺さんがキレたんだって。
何だかよく分からない話だが、母はがっつり自分のぶんを食べたらしいから良かった。

「でもね、私は自分の分をわけてやらなかったの。
 あげると怒られるのよ、自分で食べてくださいって。
 だから、図々しいけど、自分で全部食べて知らんぷりしたの」

どう受け取ればいいか分からないこの逸話を、三度も繰り返す。
何でもそのお爺さんは、母のいる所より一階上の富裕層向けの部屋に住んでいるという。
おそらく大金持ちなんだけど、家族によって騙されて施設送りとなった。
でも特別だから、ケンカしても大丈夫なんだって。

「傑作だったわよ」
強そうな、優越感に満ちた声がもう一度言う。

メソメソされると、母が可哀そうで、どうにも切ない。
だからこんな風に意地悪で可愛くない事を言っているとほっとする。
私は一緒に意地悪そうな声で大笑いするのである。

2025年4月26日土曜日

家を買うということ

私はこれまで、家を買いたいと思ったことはなかった。
家を買えるような生き方が出来なくて、常に一寸先の将来は闇だったからだ。
考えてみれば、家を買うなんていう発想自体がなかったな。
将来についてはほとんど考えてこなかったといってもいい。
考えたって無駄だと思っていた。

だから大家さんのマックスが、私のいま住んでいる屋根裏部屋を売りたいと言い出した時、私はまず次に住む賃貸アパートを探し始めた。

すぐに、そんな簡単な話ではない事がわかった。
現在のロッテルダムの賃貸物件がむちゃくちゃ高いことを発見したのである。
ロッテルダムだけではなくて、オランダ全土で家賃が高騰している。
そして選択肢も少ない。
五年前に引っ越した時もそう思ったけど、更に激化している。

今住んでいる屋根裏部屋の家賃はとても安い。
家具つきで光熱費込み、そしてロッテルダムの一等地に位置している。
同じ値段、同じような立地では、おそらく駐車場しか借りられない。
もっとも高級マンションの駐車場である。
あと100ユーロ足せば、二台ぶん借りられるだろう。
免許も持っていないのに一等地に車二台とめられるスペースを持つ。
そしてそこにテントを張って暮らす。
ある意味贅沢で詩的だと思うが、でも腰をやられるかもしれないね。

200ユーロ足せば、シェアハウスの一室に手が届くだろう。
自分の半分くらいの年齢の若者たちとの共同生活。
わいわいパジャマパーティーしちゃったりしてね。
今日のトイレ掃除、あなたの当番でしょ!なんて言われながら。
うむー。
絶対やりたくない。

400ユーロ足せば、少し郊外にはなるけれども、ロッテルダム市内のアパートに手が届く。
けれども「KAAL」である。
カールというのは「はげ」という意味で、
家具から照明から床板から、何もない状態の物件である。
自分ですべて一から作り上げなくてはいけないという、
そこで少なくとも20年は生きていく覚悟を要求される物件である。
住める状態になるまで部屋を作りこむ費用を考えたら、結局割高になる。

600ユーロ足せば、床板なんかはある家が見つかるが、特に良くも悪くもない、普通のアパートである。車がないと多少不便な場所で、家具付きなどは望むべくもない。
700から800ユーロ足せば、多少居心地の良い場所が見つかるかもしれない。
払えなくはないが、ここら辺が私の限界である。

つまり、賃貸住宅に引っ越したら、家賃は倍増し、生活の美しさは半減する。

不幸になるかもしれないな、と私は思った。
いや、きっと不幸になるなと思った。
人生の理不尽さを恨みながら、格差社会に怒りを覚えながら、
給料日の翌日には金の不足を心配し、不満たらたらで日々を送るようになる。
間違いない。

次に考えたのは、今住んでいる屋根裏部屋を買う、ということだった。
可愛らしく、ロマンのつまった家ではあるものの、いっても狭くて古い。
116才のおばあちゃんみたいな家である。
この小さなおばあちゃんなら、私の給料でも十分買えそうである。
うまくすれば、月々のローンは家賃より安くなるかもしれない。
私ほど彼女の良さをわかっている人間もいないだろうし、そういう人間に買われた方が屋根裏も幸福だろう。
売る方だって、買い手を見つけるまでの色々な手間が省ける。
ウィン・ウィン・ウィンとはこの事ではないか。
そこでマックスに連絡を取って、いくらなのかしら、と聞いてみた。
大喜びのマックスから、すぐに返事が来た。
(ここら辺から彼との文通がスタートすることになる)。

ところが彼が言うことには、
この屋根裏は単独で存在している訳ではなく、二階下の部屋とセットなのである。
下のアパートは倍くらいの広さで、屋根裏はその衛星みたいな感じ。
一緒じゃないと売れないんですって。
価格は考えていたのの三倍に膨れ上がった。

不動産屋だのローンアドバイザーだのに相談してみたが、内訳を話した途端に、
「ええと、・・・足し算引き算は出来ますか?」みたいな対応になる。
まあ、気持ちはわかるけどね。
色々な経緯の結果、とりあえず相談はしてみたけれど、
私だって心の中ではこんなの無理に決まってるよと思っていた。
マックスがあんまり喜んだから、後に退けなくなってしまっただけでね。

そこから、別の家を買うという選択肢が浮上してきた。
いずれにせよこの屋根裏は出て行かなくてはいけない。
今の家賃+800ユーロの条件ならば、買ったって同じである。
家賃はどんどん高くなる。そして、死ぬまで払い続けることになるだろう。
だったら多分ローンの方が安い。
そして、とても大切なことだけれど、
自分の持ち家ならば、二度と出て行って欲しいとは言われなくなる。

そして私は安い中古住宅を探し始めた。
途中で母親と弟が住んでいる実家が破綻し始め、私は三か月ほど日本に帰った。
日本でも実家を売り飛ばす準備を始め、期せずして売るのと買うのと、
両側から不動産について考える機会を得た。

そして、帰って来て、また家を探した。

その過程の中で、私は自分の生き方を考えるようになった。
家というものは生活そのものであり、
生活とは自分そのものであり、
過去であり、現在であり、そして将来の自分そのものであると思った。
「先のことは考えたってわからない」
そう考えること自体が、自分の人生を説明してしまうのだと、そう思い始めた。

私は大家さんのマックスと、不動産売買について長いメールを交わすようになった。
マックスは不動産について超詳しかった。
私の初期の知識や考え方は、ほとんどマックスからもたらされたものである。
私たちはこの一連の流れを、
「出て行け」「出て行かねえぞ」「追い出すぞ」「やってみろ」的な葛藤に発展させることも出来ただろう。
でも、そうはならなかった。
彼は常に親切で人間的だったし、私もそうであろうとした。
不動産という、互いの損得がゴリゴリに出る事物をきっかけに信頼感を増せる人間はそんなにいない。
でもマックスはそういう類の人間で、私はそういう意味では、幸運だったと思う。
そして、彼とのやり取りを糸口として、私は「家を買う」ことを、面白いなと思うようになってきたのである。

正直、家を買うなんて、自分の手に余る。
少なくとも、今のところは手に余っている。
でも、面白い事は確か。
これからブログで少しづつ書いていこうと思うけれど、皆さんも一緒に面白がってくれたらいいなと願っています。



2025年4月19日土曜日

親愛なる友人の皆さま方へ


突然ですが、この度私は家を買うことにしました。













家を買うのは初めてのことです。
ローンを組むのも初めて。

Youtubeで、
「持ち家・賃貸論争に決着をつける!」とか、
「これだけはするな!不動産購入の際のやってはいけないトップ5!!」とか、
「住宅ローンで破綻する人の特徴23選!!!」とか、
そんなのばっかり観ているわけですが、
海千山千、何でもわかっている風の彼らにやいのやいの言われて、
もう頭は「!」でいっぱい。

それでも、チャットGPTを有料バージョンに切り替えて、
シュミレーションにシュミレーションを重ねた結果、
(確信に近い)推論を得ましたので、みなさんにお伝えしたいと思います。

それは、

私はしばらく貧乏になるであろう。

これです。

いや、貧乏になる訳ではありませんね。
貧乏かどうかでいえば、これまでだって十分貧乏だったのですから。
逆に私は家を買うことで資産を持つのですから、
この計画は労働者から資本家への移行であるといっても過言ではありません。
貧乏になる訳ではない。

しかし可処分所得は格段に少なくなります。
月々の経費は倍増するそうで・・・。

なにしろ、ローンを組むのですからね!
組み方もわからないのに、とにかくローンを組むのです。
ということで、貧乏ではないかもしれないけれども、
おそらくケチにはなるでしょう。

現在住んでいる屋根裏部屋の大家さんのマックスは、
私の家を買うにあたっての先生のような人です。
その彼が最初の家を買うために取った重要な戦略のひとつは、
「何も買わないこと」だったと言っておりました。

必要なものだけを買い、必要ないものは買わないこと。
車、ソファ、テレビ、たくさんの服、高価なバカンス、夜遊び、日常的なカフェやレストラン、バーなど、そういったものは買わない。
約40年にわたって車を持たなかったことで、
彼はおよそ50万ユーロを節約できたというのです。

私は最初から車は持ってませんけどね。
免許すら持っていませんから、常にそこは節約できている訳です。
子供もいませんから、プラス100万ユーロの節約です。
マックスの粋な取りはからいにより、格安の家賃で生きてきましたから、
おそらくこの5年間で2万ユーロは節約できたことでしょう。
なのにどうしてこんなに貧乏なんだろ。

そんな事はどうでもいいけれど、そうですね。
映画、演劇、美術館、たくさんの服、旅行、日常的なカフェやレストラン、そういうものはこれから節約できるかもしれません。

私の家計を見直してみると、交際費の割合が思ったよりも大きい事に気がつきます。
何しろオランダは物価が高い。
ちょっと友だちと喫茶店に行けば15ユーロくらいは飛んでいくし、これがランチとなると30ユーロくらい、ディナーとなれば60ユーロくらいになるのです。
それに加えて、
交通費、ブラブラしている時につい買っちゃう可愛らしい品々、手土産、
「ここは私がおごるよ!」。・・・

親しい友人の方々には、心に刻んで頂きたいのです。
今後、私は人づきあいが悪くなるかもしれません。
でもそれは、皆さんが嫌いになった訳ではないの。
ただ単に、ドケチになっただけなのです。
だってローンがあるのですもの。

これまでの、金に関して割と無頓着で、うるさいことを言わない私は死にました。
私は計算して、計算して、計算したのです。
その結果、友人一人当たりに使っていい経費は、
およそ一回につき5ユーロであるという結論に到達したのです。
少なくとも最初の5年間はね。

大変申し訳ありませんが、今後、私との友だちづきあいは、
基本的に5ユーロの範囲内でお願いします。
会うとしたら、おたがいの家とか、公園とかね。
遠方の方からのお誘いには、
「うーん、その日は用事があるのです、超残念だけれど」と言うかもしれません。
それは「交通費が惜しい」という意味です。
いや、そんなことない、本当に用事がある事がほとんどだと思いますけどね。
時には交通費がなくて断らざるを得ない時もあるかもしれない。
ですから、私の町に会いに来てくださるのが確実です。

これからの私は、入場料無料の演奏会にしかついていかないし、
ミュージアムカードの使えない美術館にも行きません。
例えば、フォールリンデンとかね。
私がどれだけフォールリンデン美術館が好きかを考えると、胸が張り裂けそうですけれども、でも、行かないよ。
どうしても私と一緒に行きたい人は、そうねえ・・・。
私の分までチケットを買えばいいんじゃないかしら・・・。
ミュージアムカフェで飲むコーヒーもおごりよ、当然。

「じゃあお前なんか知らねーよ。」
ローンを抱えた人間の事を、そんな風には思わないで頂きたいのです。
人はえてして、金を優先させると孤立しがち。
それはわかっておりますが、友だちよりも金のほうが大事な時が人にはあるのです。
でもいつか、あなたの方が百倍大事になってくる時もくるでしょう。

私には年老いた両親がいます。
彼らは日本に住み、私はオランダに住んでいますから、滅多に会えません。
兄と弟が日本に住んでいますから、
老いた父母が孤独死しているかどうかは気にかけずとも大丈夫ですが、
私を愛してやまぬ人々に、滅多に顔を見せぬことへの罪悪感は日々抱えて生きています。
週に一度、私は彼らに電話をかけます。

ある時、なかなか会えなくてごめんねと母に言ったら、彼女は言いました。
「近くに住んでいても、人ってなかなか会いにこないのよ。
 そうすると、どこで何をしているか、全然わからないの。
 それなら結局いないのと一緒。
 でもあなたとは週に一度話しているでしょ。
 顔が見えなくても、話が出来ていれば一緒にいるのと同じなのよ。
 遠くにいても、あなたのほうがよっぽど近いの。」

これですよ。
ここに私はひとつの真理を見出しました。
物理的に会えなくても、近況をアップデートさえしていれば、心の距離はそのまんま。
ずっと近いままでいられるのです。

そういう訳で、私はこのブログを始めることにしました。

是非ともこのブログをブックマークして、気になった時にチェックしてみて下さいな。
そうすれば、私たちはずっと友だち同士。
つきあいの悪くなった私の悪口を耳にしたら、このブログを拡散してください。
「あ、ローンを抱えているんだな」とみんなにわかるように。

長年にわたって日本を離れていたせいで、私の友人も人種は多岐に渡っています。
それで、どうせだったら、親しい各国の友人の方々に、彼らにわかる言語で読んでもらおうと思いたちました。

英語はここ
オランダ語はここ
ロシア語はここです。

多言語を勉強している方々も、この言い回し、どうなのかな?と思った時に便利かもしれませんね。
ぜひチェックしてみて下さい。

そういう訳で、長くなりましたが、私の家を買うプロジェクトは始まったばかり。
本当に買えるかどうか今の時点ではわからないけれど、ベストは尽くすつもりでおります。

皆さんとはしばらく疎遠になりますが、今後ともどうぞよろしくお願い致します。



アリ大発生と神の意思 - Mieren Lokdozen

最近、我が家にアリが大量発生した。 最初は一匹、二匹をふと見かける程度だったのだが、気がつくと至る所にいる。 我が家はかつてアパートのガレージだった場所で地面と接しているから、虫が沢山出るのである。 ある程度は共存だ、と思っているし、面倒くさいのでしばらく放っておいた。 けれど、...