2025年4月26日土曜日

家を買うということ

私はこれまで、家を買いたいと思ったことはなかった。
家を買えるような生き方が出来なくて、常に一寸先の将来は闇だったからだ。
考えてみれば、家を買うなんていう発想自体がなかったな。
将来についてはほとんど考えてこなかったといってもいい。
考えたって無駄だと思っていた。

だから大家さんのマックスが、私のいま住んでいる屋根裏部屋を売りたいと言い出した時、私はまず次に住む賃貸アパートを探し始めた。

すぐに、そんな簡単な話ではない事がわかった。
現在のロッテルダムの賃貸物件がむちゃくちゃ高いことを発見したのである。
ロッテルダムだけではなくて、オランダ全土で家賃が高騰している。
そして選択肢も少ない。
五年前に引っ越した時もそう思ったけど、更に激化している。

今住んでいる屋根裏部屋の家賃はとても安い。
家具つきで光熱費込み、そしてロッテルダムの一等地に位置している。
同じ値段、同じような立地では、おそらく駐車場しか借りられない。
もっとも高級マンションの駐車場である。
あと100ユーロ足せば、二台ぶん借りられるだろう。
免許も持っていないのに一等地に車二台とめられるスペースを持つ。
そしてそこにテントを張って暮らす。
ある意味贅沢で詩的だと思うが、でも腰をやられるかもしれないね。

200ユーロ足せば、シェアハウスの一室に手が届くだろう。
自分の半分くらいの年齢の若者たちとの共同生活。
わいわいパジャマパーティーしちゃったりしてね。
今日のトイレ掃除、あなたの当番でしょ!なんて言われながら。
うむー。
絶対やりたくない。

400ユーロ足せば、少し郊外にはなるけれども、ロッテルダム市内のアパートに手が届く。
けれども「KAAL」である。
カールというのは「はげ」という意味で、
家具から照明から床板から、何もない状態の物件である。
自分ですべて一から作り上げなくてはいけないという、
そこで少なくとも20年は生きていく覚悟を要求される物件である。
住める状態になるまで部屋を作りこむ費用を考えたら、結局割高になる。

600ユーロ足せば、床板なんかはある家が見つかるが、特に良くも悪くもない、普通のアパートである。車がないと多少不便な場所で、家具付きなどは望むべくもない。
700から800ユーロ足せば、多少居心地の良い場所が見つかるかもしれない。
払えなくはないが、ここら辺が私の限界である。

つまり、賃貸住宅に引っ越したら、家賃は倍増し、生活の美しさは半減する。

不幸になるかもしれないな、と私は思った。
いや、きっと不幸になるなと思った。
人生の理不尽さを恨みながら、格差社会に怒りを覚えながら、
給料日の翌日には金の不足を心配し、不満たらたらで日々を送るようになる。
間違いない。

次に考えたのは、今住んでいる屋根裏部屋を買う、ということだった。
可愛らしく、ロマンのつまった家ではあるものの、いっても狭くて古い。
116才のおばあちゃんみたいな家である。
この小さなおばあちゃんなら、私の給料でも十分買えそうである。
うまくすれば、月々のローンは家賃より安くなるかもしれない。
私ほど彼女の良さをわかっている人間もいないだろうし、そういう人間に買われた方が屋根裏も幸福だろう。
売る方だって、買い手を見つけるまでの色々な手間が省ける。
ウィン・ウィン・ウィンとはこの事ではないか。
そこでマックスに連絡を取って、いくらなのかしら、と聞いてみた。
大喜びのマックスから、すぐに返事が来た。
(ここら辺から彼との文通がスタートすることになる)。

ところが彼が言うことには、
この屋根裏は単独で存在している訳ではなく、二階下の部屋とセットなのである。
下のアパートは倍くらいの広さで、屋根裏はその衛星みたいな感じ。
一緒じゃないと売れないんですって。
価格は考えていたのの三倍に膨れ上がった。

不動産屋だのローンアドバイザーだのに相談してみたが、内訳を話した途端に、
「ええと、・・・足し算引き算は出来ますか?」みたいな対応になる。
まあ、気持ちはわかるけどね。
色々な経緯の結果、とりあえず相談はしてみたけれど、
私だって心の中ではこんなの無理に決まってるよと思っていた。
マックスがあんまり喜んだから、後に退けなくなってしまっただけでね。

そこから、別の家を買うという選択肢が浮上してきた。
いずれにせよこの屋根裏は出て行かなくてはいけない。
今の家賃+800ユーロの条件ならば、買ったって同じである。
家賃はどんどん高くなる。そして、死ぬまで払い続けることになるだろう。
だったら多分ローンの方が安い。
そして、とても大切なことだけれど、
自分の持ち家ならば、二度と出て行って欲しいとは言われなくなる。

そして私は安い中古住宅を探し始めた。
途中で母親と弟が住んでいる実家が破綻し始め、私は三か月ほど日本に帰った。
日本でも実家を売り飛ばす準備を始め、期せずして売るのと買うのと、
両側から不動産について考える機会を得た。

そして、帰って来て、また家を探した。

その過程の中で、私は自分の生き方を考えるようになった。
家というものは生活そのものであり、
生活とは自分そのものであり、
過去であり、現在であり、そして将来の自分そのものであると思った。
「先のことは考えたってわからない」
そう考えること自体が、自分の人生を説明してしまうのだと、そう思い始めた。

私は大家さんのマックスと、不動産売買について長いメールを交わすようになった。
マックスは不動産について超詳しかった。
私の初期の知識や考え方は、ほとんどマックスからもたらされたものである。
私たちはこの一連の流れを、
「出て行け」「出て行かねえぞ」「追い出すぞ」「やってみろ」的な葛藤に発展させることも出来ただろう。
でも、そうはならなかった。
彼は常に親切で人間的だったし、私もそうであろうとした。
不動産という、互いの損得がゴリゴリに出る事物をきっかけに信頼感を増せる人間はそんなにいない。
でもマックスはそういう類の人間で、私はそういう意味では、幸運だったと思う。
そして、彼とのやり取りを糸口として、私は「家を買う」ことを、面白いなと思うようになってきたのである。

正直、家を買うなんて、自分の手に余る。
少なくとも、今のところは手に余っている。
でも、面白い事は確か。
これからブログで少しづつ書いていこうと思うけれど、皆さんも一緒に面白がってくれたらいいなと願っています。



0 件のコメント:

コメントを投稿

眠れ、眠れ、眠れ教

私の顎に広がった青紫色の痣は、一週間で消えた。 自分でも驚くほど、魔法みたいに消えちゃった。 びっくり。 痣をこしらえた次の月曜日に会社に行った時、 同僚たちはあまりの派手な顔に好奇心を抑えきれず、 「どうしたの?」「どうしたの??」「どうしたの???」 といった感じで、入れ替わ...