私の顎に広がった青紫色の痣は、一週間で消えた。
自分でも驚くほど、魔法みたいに消えちゃった。
びっくり。
痣をこしらえた次の月曜日に会社に行った時、
同僚たちはあまりの派手な顔に好奇心を抑えきれず、
「どうしたの?」「どうしたの??」「どうしたの???」
といった感じで、入れ替わり立ち替わり経緯を聞かれた。
うちの会社は在宅勤務も多いから、
月曜日に初めて顔をあわせる人、
火曜日に初めて顔をあわせる人、
水曜日に初めて顔をあわせる人がそれぞれおり、
「どうしたの、その顔は???」は、木曜日にやっと終わった。
金曜日になると痣は少し小さくなったけれど、
赤褐色になってむしろ痛々しい色合いになり、
同僚たちは気の毒そうな眼差しでもう何も聞かなかった。
ところが月曜日にまた出社したら、跡形もなく痣が無かったものだから、
今度は、「痣はどうしたの????」となったのである。
私にとって答えははっきりしている。
この一週間、私は意識して、睡眠時間をかなり多めに取った。
そのおかげなのである。
野生動物は怪我をした時、どうするか。
まず傷をなめる。
そして、寝る。
あとはどうするのか知らないけど、
とりあえず顎の痣を舐めるのは現実的ではないので、
寝る方を選んだのである。
本格派動物的治癒法である。
私には日常的に日課にしている事が沢山あるが、
これをひとまず全部やらない事にして、
掃除も洗濯も皿洗いも最小限にし、
とにかく朝はギリギリまで寝て、
会社から帰るとスマホやパソコンには指一本触れないようにして、
睡眠時間の確保を最優先課題にしたのだった。
その結果、痣は最速で消えた。
これを仲良しの同僚に言ったら、
彼はニヤニヤ笑って、大いにバカにした。
「寝なくても同じ時間が経過したら痣は消えたよ、きっと。
ちゃんと比べてみた?」
まったく本気にしていないのである。
もっとも私だって最初からそんなに確信があった訳ではない。
よく休めば回復が早いかもしれない、といった程度の気持ちだった。
結果は目覚ましいものがあった。
痣が消えただけじゃない。
心理的、身体的な部分での驚くべき回復があり、
もっと言えば、悟りのようなものを得た。
永い眠りの末に私が思ったのは、
「私は眠っていれば幸福なんじゃないかな?」ということだ。
私は幸福になりたい一心で、
睡眠時間を削って、あれもやって、これもやって、
疲労した心と身体を引きずりながら努力してきた。
この五年くらいは、いつでも睡眠不足だったと思う。
いつも眠たい。
朝起きた時から疲れている。
だから人と話すのが面倒で、
道の向こうから知り合いが歩いて来ると、
会えて嬉しいと思う代わりに、
「ああ、こっちに気がつきませんように・・・」と思う。
夕方などはまったく気がつかなかったふりさえしてしまう。
頭も回らないし、記憶力も悪いし、深く考えるのがいやで、
面倒な事はいつでも後回し。
帰ってくれば、味の濃い身体に悪そうなものばかり食べて、止められない。
ショート動画やチェスのブリッツをいつまでもダラダラ続けて、止められない。
無駄なことをやめる判断力がなくなっている状態だ。
次の日の朝には案の定身体が重たい。
「私はバカで怠惰で人間嫌いだからなあ」と自己嫌悪に苦しんでいた。
しかし、顎に大きな痣をかかえて生きたこの一週間の間、
良く寝るようにした、それだけで、
内面世界はみるみるうちに絶好調になっていった。
あらゆる現世の苦しみが消えたといっても過言ではない。
バカで怠惰で人間嫌いなのは、そういう性格だったからじゃない。
睡眠が足りていなかったからなのだ。
そのことがよくわかった。
睡眠が大切なことくらい、誰でもよくわかっていると思う。
けれど、それがどれほど激しく己のマインドを左右するかってことは、
意外と自覚できていないのではないと思う。
痣をこしらえたのは土曜日のことで、
翌日から私は長めに寝始めたが、
火曜日くらいから「あれ?調子良いな」と気がつき始めた。
木曜日には自分という存在が美しく思えだし、
週末には世界が美しく見えだした。
私はフルタイムで仕事をしているので、土日は貴重である。
いつもならば、この時間に何か意味のあることをしようとする。
じっくり身体を休ませるためにスパに行ったり、
美術館に行ったり、映画館に行ったり、劇場に行ったりする。
家の中を隅々まで掃除したり、
ボルダリングに行ったり、
友人に会ったり、英語やオランダ語など勉強したり、
そういう「豊かに生きる」ためにすべきことが沢山ある。
したいからするというよりも、
それをしなかったら人生そのものがなくなってしまいそうで怖いから、
疲れているのに無理やりやるのである。
が、この週末、私は「豊かに生きる」ことをいったんやめて、
痣を消すために睡眠時間に全振りした。
何を置いても眠る事にしたのだが、
目を開く度に痣が小さくなっていくのには驚いたね。
消しゴムかっていうくらい。
でも痣なんかすでにどうでも良い。
心の中に起こった変化のほうが大きく、そして重要だったのだ。
充分に深く眠った私は、幸福で落ち着いていた。
あらゆる事を面倒くさいと思う気持ちが消失していた。
家族や友人、同僚たちを億劫に感じる気持ちはなくなり、
むしろ彼らと会話できることに幸福を感じた。
人生はむしろ豊かになったのである。
幸福とは何か。
大きな問いである。
寝ている間は生産性が低いから、人は睡眠を起きている時間の付属物のように扱う。
幸福になるためには働かなくちゃいけない、
働くためには寝なくちゃいけないって。
そしてその「幸福」の中身がはっきりしないから、
人はあらゆるものを求めて、
闇雲に時間や手間や金をかけるのである。
充分なリソースを持たぬ人は不幸で惨めだと感じてしまうし、
不安や疲労が大きすぎて不眠症になったりする。
物的満足には果てがなく、一時得ても、永続的に続く保証はない。
幸福は遠のく。
でも睡眠=幸福なのだったら、
人生はずいぶんイージーモードである。
よく寝ることが幸福の正体だったら、多くのものは必要ない。
快適な寝床の維持に必要なものさえあればいい。
そして、この一週間の経験からいえば、
あとのものは自動的についてきそうである。
よく寝てさえいれば、
頭はよく回るし、
人にも親切にできるし、
自分一人でいても幸福なことばかり考えるし、
身体も自然と調子が良い。
生産性も自然とあがるんじゃないかな・・・少なくとも寝床を維持するくらいには。
あのハマムでガツンと顎をやった瞬間、
神が私に与えたもうたのは、真実を示す道であった。
ああ、こういう宗教をつくろうかな。
「眠れ、眠れ、眠れ教」というのを。
それはともかく、
みんなも色々な悩みや苦しみを抱えて生きていると思うけれども、
私から言えることはひとつだけ。
良く寝てる?
0 件のコメント:
コメントを投稿