2025年4月27日日曜日

昨日、夜の11時ごろに母から電話があった。

日本は朝で、母は起きたばかりだったみたい。
グズグズと泣いているような声で、「熱っぽいの」という。
「熱っぽいから、家にいったん帰りたい」って。
私が「風邪かねえ」というと、「そうかもね」と言う。

「健が私を連れて帰りたいんだと思うの、あの人はそういう人なのよ」。

弟は家の買い手を見つけた。
もうすぐ売るつもりだ。
家が売れたら、もう母は二度と帰れない。

「だけどさ、調子が悪いんだったら、家には帰らない方がいいよ。
    今いるところの方が、何かあったらすぐ診てもらえるんだからさ」
なんて私はなだめすかす。

そうね、ここに居た方がいいんでしょうね、
あの子の邪魔するつもりなんてないの。
と母は言う。
あの家の中で何不自由なく生きていけるようにしてここに来たのだから、
あの子はもうどうなったって大丈夫なのよ。
「私はあなたたちのために全部取っておいたの、何があっても困らないように」
偉かったでしょう、と母は得意げに言う。
そういう物だって、全部捨てるのだ。

「頭が痛いの。朝からずっと。健が迎えにきてくれると思うんだけど」

スカイプの会話は電波が弱くなるとふっと切れる。
母の声が聞こえなくなり、私はかけ直さなかった。

その後、もう一度、今度は深夜の1:30頃に母からまた電話。
私はブログの手直しをしていて、起きていたので電話を取った。

声は晴々していて、朝ごはんを食べてきたのだという。
友だちになったお爺さんが、ベトナム人か何かの食事係にキレたという話。
「傑作だったわよ」と意地悪そうな声で言う。

「あんまりケンカしないでよ、あの人たちだって仕事でやっているんでしょ」
と言うと、
「違うわね。単に怠けているのよ。はっきり言ってやらないと覚えないからダメ」
なんて、上から目線の偉そうなことを言う。

声が強くなっていて、ご飯を食べて元気になった感じ。

何でも、友だちのお爺さんのご飯が足りなくて、
自分のを分けようとしたらダメだと言われて、
でもお爺さんの分はなかったから、
お爺さんがキレたんだって。
何だかよく分からない話だが、母はがっつり自分のぶんを食べたらしいから良かった。

「でもね、私は自分の分をわけてやらなかったの。
 あげると怒られるのよ、自分で食べてくださいって。
 だから、図々しいけど、自分で全部食べて知らんぷりしたの」

どう受け取ればいいか分からないこの逸話を、三度も繰り返す。
何でもそのお爺さんは、母のいる所より一階上の富裕層向けの部屋に住んでいるという。
おそらく大金持ちなんだけど、家族によって騙されて施設送りとなった。
でも特別だから、ケンカしても大丈夫なんだって。

「傑作だったわよ」
強そうな、優越感に満ちた声がもう一度言う。

メソメソされると、母が可哀そうで、どうにも切ない。
だからこんな風に意地悪で可愛くない事を言っているとほっとする。
私は一緒に意地悪そうな声で大笑いするのである。

2025年4月26日土曜日

家を買うということ

私はこれまで、家を買いたいと思ったことはなかった。
家を買えるような生き方が出来なくて、常に一寸先の将来は闇だったからだ。
考えてみれば、家を買うなんていう発想自体がなかったな。
将来についてはほとんど考えてこなかったといってもいい。
考えたって無駄だと思っていた。

だから大家さんのマックスが、私のいま住んでいる屋根裏部屋を売りたいと言い出した時、私はまず次に住む賃貸アパートを探し始めた。

すぐに、そんな簡単な話ではない事がわかった。
現在のロッテルダムの賃貸物件がむちゃくちゃ高いことを発見したのである。
ロッテルダムだけではなくて、オランダ全土で家賃が高騰している。
そして選択肢も少ない。
五年前に引っ越した時もそう思ったけど、更に激化している。

今住んでいる屋根裏部屋の家賃はとても安い。
家具つきで光熱費込み、そしてロッテルダムの一等地に位置している。
同じ値段、同じような立地では、おそらく駐車場しか借りられない。
もっとも高級マンションの駐車場である。
あと100ユーロ足せば、二台ぶん借りられるだろう。
免許も持っていないのに一等地に車二台とめられるスペースを持つ。
そしてそこにテントを張って暮らす。
ある意味贅沢で詩的だと思うが、でも腰をやられるかもしれないね。

200ユーロ足せば、シェアハウスの一室に手が届くだろう。
自分の半分くらいの年齢の若者たちとの共同生活。
わいわいパジャマパーティーしちゃったりしてね。
今日のトイレ掃除、あなたの当番でしょ!なんて言われながら。
うむー。
絶対やりたくない。

400ユーロ足せば、少し郊外にはなるけれども、ロッテルダム市内のアパートに手が届く。
けれども「KAAL」である。
カールというのは「はげ」という意味で、
家具から照明から床板から、何もない状態の物件である。
自分ですべて一から作り上げなくてはいけないという、
そこで少なくとも20年は生きていく覚悟を要求される物件である。
住める状態になるまで部屋を作りこむ費用を考えたら、結局割高になる。

600ユーロ足せば、床板なんかはある家が見つかるが、特に良くも悪くもない、普通のアパートである。車がないと多少不便な場所で、家具付きなどは望むべくもない。
700から800ユーロ足せば、多少居心地の良い場所が見つかるかもしれない。
払えなくはないが、ここら辺が私の限界である。

つまり、賃貸住宅に引っ越したら、家賃は倍増し、生活の美しさは半減する。

不幸になるかもしれないな、と私は思った。
いや、きっと不幸になるなと思った。
人生の理不尽さを恨みながら、格差社会に怒りを覚えながら、
給料日の翌日には金の不足を心配し、不満たらたらで日々を送るようになる。
間違いない。

次に考えたのは、今住んでいる屋根裏部屋を買う、ということだった。
可愛らしく、ロマンのつまった家ではあるものの、いっても狭くて古い。
116才のおばあちゃんみたいな家である。
この小さなおばあちゃんなら、私の給料でも十分買えそうである。
うまくすれば、月々のローンは家賃より安くなるかもしれない。
私ほど彼女の良さをわかっている人間もいないだろうし、そういう人間に買われた方が屋根裏も幸福だろう。
売る方だって、買い手を見つけるまでの色々な手間が省ける。
ウィン・ウィン・ウィンとはこの事ではないか。
そこでマックスに連絡を取って、いくらなのかしら、と聞いてみた。
大喜びのマックスから、すぐに返事が来た。
(ここら辺から彼との文通がスタートすることになる)。

ところが彼が言うことには、
この屋根裏は単独で存在している訳ではなく、二階下の部屋とセットなのである。
下のアパートは倍くらいの広さで、屋根裏はその衛星みたいな感じ。
一緒じゃないと売れないんですって。
価格は考えていたのの三倍に膨れ上がった。

不動産屋だのローンアドバイザーだのに相談してみたが、内訳を話した途端に、
「ええと、・・・足し算引き算は出来ますか?」みたいな対応になる。
まあ、気持ちはわかるけどね。
色々な経緯の結果、とりあえず相談はしてみたけれど、
私だって心の中ではこんなの無理に決まってるよと思っていた。
マックスがあんまり喜んだから、後に退けなくなってしまっただけでね。

そこから、別の家を買うという選択肢が浮上してきた。
いずれにせよこの屋根裏は出て行かなくてはいけない。
今の家賃+800ユーロの条件ならば、買ったって同じである。
家賃はどんどん高くなる。そして、死ぬまで払い続けることになるだろう。
だったら多分ローンの方が安い。
そして、とても大切なことだけれど、
自分の持ち家ならば、二度と出て行って欲しいとは言われなくなる。

そして私は安い中古住宅を探し始めた。
途中で母親と弟が住んでいる実家が破綻し始め、私は三か月ほど日本に帰った。
日本でも実家を売り飛ばす準備を始め、期せずして売るのと買うのと、
両側から不動産について考える機会を得た。

そして、帰って来て、また家を探した。

その過程の中で、私は自分の生き方を考えるようになった。
家というものは生活そのものであり、
生活とは自分そのものであり、
過去であり、現在であり、そして将来の自分そのものであると思った。
「先のことは考えたってわからない」
そう考えること自体が、自分の人生を説明してしまうのだと、そう思い始めた。

私は大家さんのマックスと、不動産売買について長いメールを交わすようになった。
マックスは不動産について超詳しかった。
私の初期の知識や考え方は、ほとんどマックスからもたらされたものである。
私たちはこの一連の流れを、
「出て行け」「出て行かねえぞ」「追い出すぞ」「やってみろ」的な葛藤に発展させることも出来ただろう。
でも、そうはならなかった。
彼は常に親切で人間的だったし、私もそうであろうとした。
不動産という、互いの損得がゴリゴリに出る事物をきっかけに信頼感を増せる人間はそんなにいない。
でもマックスはそういう類の人間で、私はそういう意味では、幸運だったと思う。
そして、彼とのやり取りを糸口として、私は「家を買う」ことを、面白いなと思うようになってきたのである。

正直、家を買うなんて、自分の手に余る。
少なくとも、今のところは手に余っている。
でも、面白い事は確か。
これからブログで少しづつ書いていこうと思うけれど、皆さんも一緒に面白がってくれたらいいなと願っています。



2025年4月19日土曜日

親愛なる友人の皆さま方へ


突然ですが、この度私は家を買うことにしました。













家を買うのは初めてのことです。
ローンを組むのも初めて。

Youtubeで、
「持ち家・賃貸論争に決着をつける!」とか、
「これだけはするな!不動産購入の際のやってはいけないトップ5!!」とか、
「住宅ローンで破綻する人の特徴23選!!!」とか、
そんなのばっかり観ているわけですが、
海千山千、何でもわかっている風の彼らにやいのやいの言われて、
もう頭は「!」でいっぱい。

それでも、チャットGPTを有料バージョンに切り替えて、
シュミレーションにシュミレーションを重ねた結果、
(確信に近い)推論を得ましたので、みなさんにお伝えしたいと思います。

それは、

私はしばらく貧乏になるであろう。

これです。

いや、貧乏になる訳ではありませんね。
貧乏かどうかでいえば、これまでだって十分貧乏だったのですから。
逆に私は家を買うことで資産を持つのですから、
この計画は労働者から資本家への移行であるといっても過言ではありません。
貧乏になる訳ではない。

しかし可処分所得は格段に少なくなります。
月々の経費は倍増するそうで・・・。

なにしろ、ローンを組むのですからね!
組み方もわからないのに、とにかくローンを組むのです。
ということで、貧乏ではないかもしれないけれども、
おそらくケチにはなるでしょう。

現在住んでいる屋根裏部屋の大家さんのマックスは、
私の家を買うにあたっての先生のような人です。
その彼が最初の家を買うために取った重要な戦略のひとつは、
「何も買わないこと」だったと言っておりました。

必要なものだけを買い、必要ないものは買わないこと。
車、ソファ、テレビ、たくさんの服、高価なバカンス、夜遊び、日常的なカフェやレストラン、バーなど、そういったものは買わない。
約40年にわたって車を持たなかったことで、
彼はおよそ50万ユーロを節約できたというのです。

私は最初から車は持ってませんけどね。
免許すら持っていませんから、常にそこは節約できている訳です。
子供もいませんから、プラス100万ユーロの節約です。
マックスの粋な取りはからいにより、格安の家賃で生きてきましたから、
おそらくこの5年間で2万ユーロは節約できたことでしょう。
なのにどうしてこんなに貧乏なんだろ。

そんな事はどうでもいいけれど、そうですね。
映画、演劇、美術館、たくさんの服、旅行、日常的なカフェやレストラン、そういうものはこれから節約できるかもしれません。

私の家計を見直してみると、交際費の割合が思ったよりも大きい事に気がつきます。
何しろオランダは物価が高い。
ちょっと友だちと喫茶店に行けば15ユーロくらいは飛んでいくし、これがランチとなると30ユーロくらい、ディナーとなれば60ユーロくらいになるのです。
それに加えて、
交通費、ブラブラしている時につい買っちゃう可愛らしい品々、手土産、
「ここは私がおごるよ!」。・・・

親しい友人の方々には、心に刻んで頂きたいのです。
今後、私は人づきあいが悪くなるかもしれません。
でもそれは、皆さんが嫌いになった訳ではないの。
ただ単に、ドケチになっただけなのです。
だってローンがあるのですもの。

これまでの、金に関して割と無頓着で、うるさいことを言わない私は死にました。
私は計算して、計算して、計算したのです。
その結果、友人一人当たりに使っていい経費は、
およそ一回につき5ユーロであるという結論に到達したのです。
少なくとも最初の5年間はね。

大変申し訳ありませんが、今後、私との友だちづきあいは、
基本的に5ユーロの範囲内でお願いします。
会うとしたら、おたがいの家とか、公園とかね。
遠方の方からのお誘いには、
「うーん、その日は用事があるのです、超残念だけれど」と言うかもしれません。
それは「交通費が惜しい」という意味です。
いや、そんなことない、本当に用事がある事がほとんどだと思いますけどね。
時には交通費がなくて断らざるを得ない時もあるかもしれない。
ですから、私の町に会いに来てくださるのが確実です。

これからの私は、入場料無料の演奏会にしかついていかないし、
ミュージアムカードの使えない美術館にも行きません。
例えば、フォールリンデンとかね。
私がどれだけフォールリンデン美術館が好きかを考えると、胸が張り裂けそうですけれども、でも、行かないよ。
どうしても私と一緒に行きたい人は、そうねえ・・・。
私の分までチケットを買えばいいんじゃないかしら・・・。
ミュージアムカフェで飲むコーヒーもおごりよ、当然。

「じゃあお前なんか知らねーよ。」
ローンを抱えた人間の事を、そんな風には思わないで頂きたいのです。
人はえてして、金を優先させると孤立しがち。
それはわかっておりますが、友だちよりも金のほうが大事な時が人にはあるのです。
でもいつか、あなたの方が百倍大事になってくる時もくるでしょう。

私には年老いた両親がいます。
彼らは日本に住み、私はオランダに住んでいますから、滅多に会えません。
兄と弟が日本に住んでいますから、
老いた父母が孤独死しているかどうかは気にかけずとも大丈夫ですが、
私を愛してやまぬ人々に、滅多に顔を見せぬことへの罪悪感は日々抱えて生きています。
週に一度、私は彼らに電話をかけます。

ある時、なかなか会えなくてごめんねと母に言ったら、彼女は言いました。
「近くに住んでいても、人ってなかなか会いにこないのよ。
 そうすると、どこで何をしているか、全然わからないの。
 それなら結局いないのと一緒。
 でもあなたとは週に一度話しているでしょ。
 顔が見えなくても、話が出来ていれば一緒にいるのと同じなのよ。
 遠くにいても、あなたのほうがよっぽど近いの。」

これですよ。
ここに私はひとつの真理を見出しました。
物理的に会えなくても、近況をアップデートさえしていれば、心の距離はそのまんま。
ずっと近いままでいられるのです。

そういう訳で、私はこのブログを始めることにしました。

是非ともこのブログをブックマークして、気になった時にチェックしてみて下さいな。
そうすれば、私たちはずっと友だち同士。
つきあいの悪くなった私の悪口を耳にしたら、このブログを拡散してください。
「あ、ローンを抱えているんだな」とみんなにわかるように。

長年にわたって日本を離れていたせいで、私の友人も人種は多岐に渡っています。
それで、どうせだったら、親しい各国の友人の方々に、彼らにわかる言語で読んでもらおうと思いたちました。

英語はここ
オランダ語はここ
ロシア語はここです。

多言語を勉強している方々も、この言い回し、どうなのかな?と思った時に便利かもしれませんね。
ぜひチェックしてみて下さい。

そういう訳で、長くなりましたが、私の家を買うプロジェクトは始まったばかり。
本当に買えるかどうか今の時点ではわからないけれど、ベストは尽くすつもりでおります。

皆さんとはしばらく疎遠になりますが、今後ともどうぞよろしくお願い致します。



メスメリカな一日

私はデン・ハーグにあるOmniversum Museumが大好き。 ミュージアムというより映画館なのだが、上映されているのは普通の映画ではない。 プラネタリウムのような丸天井のスクリーンがあって、 とにかく視界すべてをスクリーン映像が覆い尽くすものだから、 身体がまるでその世界の...