2025年7月12日土曜日

眠れ、眠れ、眠れ教

私の顎に広がった青紫色の痣は、一週間で消えた。
自分でも驚くほど、魔法みたいに消えちゃった。
びっくり。

痣をこしらえた次の月曜日に会社に行った時、
同僚たちはあまりの派手な顔に好奇心を抑えきれず、
「どうしたの?」「どうしたの??」「どうしたの???」
といった感じで、入れ替わり立ち替わり経緯を聞かれた。

うちの会社は在宅勤務も多いから、
月曜日に初めて顔をあわせる人、
火曜日に初めて顔をあわせる人、
水曜日に初めて顔をあわせる人がそれぞれおり、
「どうしたの、その顔は???」は、木曜日にやっと終わった。

金曜日になると痣は少し小さくなったけれど、
赤褐色になってむしろ痛々しい色合いになり、
同僚たちは気の毒そうな眼差しでもう何も聞かなかった。

ところが月曜日にまた出社したら、跡形もなく痣が無かったものだから、
今度は、「痣はどうしたの????」となったのである。

私にとって答えははっきりしている。
この一週間、私は意識して、睡眠時間をかなり多めに取った。
そのおかげなのである。


野生動物は怪我をした時、どうするか。
まず傷をなめる。
そして、寝る。
あとはどうするのか知らないけど、
とりあえず顎の痣を舐めるのは現実的ではないので、
寝る方を選んだのである。
本格派動物的治癒法である。

私には日常的に日課にしている事が沢山あるが、
これをひとまず全部やらない事にして、
掃除も洗濯も皿洗いも最小限にし、
とにかく朝はギリギリまで寝て、
会社から帰るとスマホやパソコンには指一本触れないようにして、
睡眠時間の確保を最優先課題にしたのだった。
その結果、痣は最速で消えた。

これを仲良しの同僚に言ったら、
彼はニヤニヤ笑って、大いにバカにした。
「単なる時間の経過だろ」なんてね。

もっとも私だって、最初は、
よく休めば回復が早いかもしれないといった程度の気持ちだった。


結果は目覚ましいものがあった。
痣が消えただけじゃない。
心理的、身体的な部分での驚くべき回復があり、
もっと言えば、悟りのようなものを得た。

永い眠りの末に私が思ったのは、
「私は眠っていれば幸福なんじゃないかな?」ということだ。

私は幸福になりたい一心で、
睡眠時間を削って、あれもやって、これもやって、
疲労した心と身体を引きずりながら努力してきた。
この五年くらいは、いつでも睡眠不足だったと思う。

いつも眠たい。
朝起きた時から疲れている。
だから人と話すのが面倒で、
道の向こうから知り合いが歩いて来ると、
会えて嬉しいと思う代わりに、
「ああ、こっちに気がつきませんように・・・」と思う。
夕方などはまったく気がつかなかったふりさえしてしまう。
頭も回らないし、記憶力も悪いし、深く考えるのがいやで、
面倒な事はいつでも後回し。
帰ってくれば、味の濃い身体に悪そうなものばかり食べて、止められない。
ショート動画やチェスのブリッツをいつまでもダラダラ続けて、止められない。
無駄なことをやめる判断力がなくなっている状態だ。
次の日の朝には案の定身体が重たい。
「私はバカで怠惰で人間嫌いだからなあ」と自己嫌悪に苦しんでいた。

しかし、顎に大きな痣をかかえて生きたこの一週間の間、
良く寝るようにした、それだけで、
内面世界はみるみるうちに絶好調になっていった。
あらゆる現世の苦しみが消えたといっても過言ではない。

バカで怠惰で人間嫌いなのは、そういう性格だったからじゃない。
睡眠が足りていなかったからなのだ。
そのことがよくわかった。


睡眠が大切なことくらい、誰でもよくわかっていると思う。
けれど、それがどれほど激しく己のマインドを左右するかってことは、
意外と自覚できていないのではないと思う。

痣をこしらえたのは土曜日のことで、
翌日から私は長めに寝始めたが、
火曜日くらいから「あれ?調子良いな」と気がつき始めた。
木曜日には自分という存在が美しく思えだし、
週末には世界が美しく見えだした。

私はフルタイムで仕事をしているので、土日は貴重である。
いつもならば、この時間に何か意味のあることをしようとする。
じっくり身体を休ませるためにスパに行ったり、
美術館に行ったり、映画館に行ったり、劇場に行ったりする。
家の中を隅々まで掃除したり、
ボルダリングに行ったり、
友人に会ったり、英語やオランダ語など勉強したり、
そういう「豊かに生きる」ためにすべきことが沢山ある。
したいからするというよりも、
それをしなかったら人生そのものがなくなってしまいそうで怖いから、
疲れているのに無理やりやるのである。

が、この週末、私は「豊かに生きる」ことをいったんやめて、
痣を消すために睡眠時間に全振りした。
何を置いても眠る事にしたのだが、
目を開く度に痣が小さくなっていくのには驚いたね。
消しゴムかっていうくらい。
でも痣なんかすでにどうでも良い。
心の中に起こった変化のほうが大きく、そして重要だったのだ。

充分に深く眠った私は、幸福で落ち着いていた。
あらゆる事を面倒くさいと思う気持ちが消失していた。
家族や友人、同僚たちを億劫に感じる気持ちはなくなり、
むしろ彼らと会話できることに幸福を感じた。
人生はむしろ豊かになったのである。


幸福とは何か。
大きな問いである。
寝ている間は生産性が低いから、人は睡眠を起きている時間の付属物のように扱う。
幸福になるためには働かなくちゃいけない、
働くためには寝なくちゃいけないって。

そしてその「幸福」の中身がはっきりしないから、
人はあらゆるものを求めて、
闇雲に時間や手間や金をかけるのである。
充分なリソースを持たぬ人は不幸で惨めだと感じてしまうし、
不安や疲労が大きすぎて不眠症になったりする。
物的満足には果てがなく、一時得ても、永続的に続く保証はない。
幸福は遠のく。

でも睡眠=幸福なのだったら、
人生はずいぶんイージーモードである。
よく寝ることが幸福の正体だったら、多くのものは必要ない。
快適な寝床の維持に必要なものさえあればいい。

そして、この一週間の経験からいえば、
あとのものは自動的についてきそうである。

よく寝てさえいれば、
頭はよく回るし、
人にも親切にできるし、
自分一人でいても幸福なことばかり考えるし、
身体も自然と調子が良い。
生産性も自然とあがるんじゃないかな・・・少なくとも寝床を維持するくらいには。

あのハマムでガツンと顎をやった瞬間、
神が私に与えたもうたのは、真実を示す道であった。
ああ、こういう宗教をつくろうかな。
「眠れ、眠れ、眠れ教」というのを。

それはともかく、
みんなも色々な悩みや苦しみを抱えて生きていると思うけれども、
私から言えることはひとつだけ。

良く寝てる?



2025年6月29日日曜日

新しい武勇伝:ハマム事件

昨日の事であった。
私は一人でスパにいた。

一人でオランダのウェルネス施設に行く日本人女性は少ないだろう。
少なくとも私の友人にはいないようである。
一人でどころか、誘っても来ない。
何故なら、オランダのお風呂屋さんには男女の区別がなく、
全裸の男女の混浴が基本だからである。
「男女七才にして席を同じうせず」みたいな儒教的な価値観が彼らにスパを許さない。

でも私は一人で行くのである。
私にとってしてみれば、
たとえ男女混浴だろうと、お風呂屋さんがない人生なんて考えられない。

昨年の11月から今年の1月にかけて、
私は日本に3か月滞在した。
その間、私と弟はそこら中のスーパー銭湯に行った。
母の施設を毎日見て回っていた頃で、
出がけに弟が「今日はお風呂行こうか」と言うと、私は何の異議もなく賛成する。
布バッグにタオルと代えの下着を詰めれば、あとは何も要らない。
シャンプーから湯着から、お風呂屋さんには何でもあるのである。
日本のお風呂は男女が別れているから、
入ったら大体の待ち合わせ時間を決めておいて、弟とは別れる。
あとは別々にお風呂に入って、時々食堂などで合流して、また別れる。
気楽なものである。

私たちは近所の「王様のお風呂」が特に好きで、何度も行った。
「王様のお風呂」は素晴らしい。
その上、非常に安い。
入湯料は平日なら一人880円、会員なら800円である。
食べ物もおいしくて安い。
食堂は広々として、清潔である。
お風呂は何種類もあって、サウナもミストサウナも水風呂もある。
横になって眠れるスペースもあるし、漫画が沢山置いてある場所もある。
岩盤浴は別料金だけれど、それだってたかが700円である。
700円ていくら?
5ユーロくらいか。
あの岩盤浴で得られる圧倒的な満足感と比べたらタダみたいなものである。
そうして、私たちは風呂に入って、食べて、サウナに入って、水風呂に入って、寝て、
岩盤浴に入って、漫画を読んで、また寝て、食べて、・・・。
一日中ゆっくり安寧を身体にしみこませるのである。

ああ、懐かしいな。
弟の車と、弟と、王様のお風呂と、岩盤浴と、
さらさらした畳みたいな椅子に裸足で座って食べる油淋鶏定食と。
私の人生の中でもっとも幸福な時間があそこにはあった。
オランダでもこの類の幸福を探し求めてしまうほどに。

オランダのスパは、「王様のお風呂」ほどではないけれど、また違った類の楽園だ。
始めは全裸の男女が怖かったけれど、慣れてくれば興味深いだけである。
一人で来ている人も、老若男女問わず沢山いる。
レストランで、優雅にガウンを羽織り、プロセコなぞ頂きながら本を読んでいると、
斜め向こうにも優雅にガウンを羽織り、サラダを食しながら本を読んでいる女性がいる。
完全に自立していて、一人でいる自分に満足し切っている。
勝手に連帯感を得る。

「オランダ人は人の裸に慣れているから、あまり気にしていない。
 サウナに集中していて、人の裸なんて見ていない」

かつて私を初めてウェルネスに連れていってくれた友人はそう語ったが、
私はそんな人ばかりでもないように感じる。
やっぱりチラチラ見ているんじゃないかな・・・。
私も見事な身体の人がいるとどうしても目で追ってしまうし、
若い女の子の身体などは芸術的に美しいと思う時があるし、
タトゥーを彫っている人がいると、絵柄を見極めようと目を細める。
日本のお風呂屋さんは大抵入れ墨禁止だから、
全身タトゥーだらけの人の鑑賞が楽しめるのはオランダ特有である。
ものすごく大きな身体の人や、華奢な人、太っている人、痩せている人、
肌の色合いも多種多様で、若い人も老いた人もいるが、
誰もがそれぞれリラックスして、うっとりと休んでいる。
それは美しい眺めで、私も多様性を構成する一人として、安心して休む。

声をかけてくる男の人がちらほらいる。
まあ、私も裸で一人でうろついている訳だから、
「これは何かのサインなのでは?」と思われてしまっても仕方がない。
でも怖い思いをしたことはない。
私も裸で無防備だけれど、相手も裸で無防備だから、
お互いに謙虚で礼儀正しいのである。
「もしあなたがその気なら、今宵の僕は受け止める気がありますよ」的な、
そんな感じのありがたい申し出に過ぎない。
こちらにその気がない事を確認すると、すぐにさっと引いて姿を消していく。
もしかして受けて立ったら、
それはそれで新たな火種に発展していく事もあるのかもしれないけれど、
断わっているぶんには単なる楽園の暇つぶしである。
日本のスーパー銭湯のような絶対的な安心感はないものの、
去っていく男性の裸の尻を眺めながら、
「私もまだ捨てたもんじゃないわね!」と悦に入る心持は、
それはそれで日本では得られない何かである。

ええと、何の話だっけ?
そうそう、そんな感じで、私は昨日一人でスパにいた訳である。
スパに着いた時には三時をまわっていたが、その日は朝から何も食べていなかった。
体調もあったのかもしれない。
何か食べなくちゃなあ、と思いながら、でも食欲もなくて、
ついつい何も食べずにサウナに入ってしまった。

カラーサウナというサウナに入った。


サウナ内の色が赤だの黄色だの青だのに変化していくサウナで、
温度は低くも高くもない、わりとマイルドなサウナである。
でもこの日のカラーサウナは妙に熱かった。
私の後から男の人が入って来て、色々話しかけてきたものの、
もう耐えられないと言って、途中で出て行った。
そうなると俄然、マウンティング的な態度を取るのが私の悪い癖である。
「ふふん、この程度のサウナで音をあげるなんて、素人だわね」
みたいな感じに思って、12分計の砂が落ちきるまで悠然と耐えた。

そしてサウナから出た直後に、
「マズい」と思った。
何だか、世界がフワフワとして、上も下もわからないような感じである。
目がグルグルと回っている。
仕切り直しでシャワーを浴びて冷静になろうとしたが、
かえって耳の辺りの水音が心をかき乱したので、
私はそろそろと慎重な足取りで、ハマム風呂の辺りへ向かった。
そこには塩をすりこむための大きな石のベンチがあるのだが、
塩が置いてないから誰もいない。
その冷たい石の上に座ってクールダウンするべきだと思ったのである。


ところが、座ろうとしてかがんだところ、
ふらっとして目算を誤ったらしい。
あっという間もなく、私はしたたかに膝を床に打ちつけ、
顎を石のベンチに打ちつけていた。

常になく私は動揺した。
まずいまずい、と思った。
湯あたりである。

とりあえず石のベンチに座ったが、
身体がグラグラするので仰向けに横たわった。
すると、あっという間にカラーサウナで出会った男性がやってきて、
大丈夫かと聞いてきたので、私は舌打ちしたいような気持で起き上がった。
さすがの私も、見知らぬ男性が上から見下ろしている状況で、
全裸で横たわり続ける胆力はない。
「大丈夫ですよ」と答えると、
彼はぜひ水風呂に浸かれとアドバイスをくれた。
それは良いアイデアに思えたので、サンキューと答え、
私はよろよろとプールに向かった。

水風呂は冷たすぎると思ったので、
やや水温が高いプールに入ってじっとしていると、
だんだんと気が静まってきたように感じた。
例の男性が追いかけてきて、「水風呂のほうが水が冷たいよ」とアドバイスをくれた。
「知ってます、知ってます、知ってます」と早口で三回言ったら、
あらそう、と言って去っていった。

水に浸かりながら、
なぜこんな羽目になったのかを私はじっくり考えた。
年齢のせいか。
体調のせいか。
睡眠不足か。
何かの予兆か。
誰かの呪いか。
天罰か。
あれか、これか。
色々な説を検討した結果、
「朝ご飯と昼ご飯を食べていないからだ」という結論に辿りついた。

レストランでスパークリングワインとSotoスープにパンを食べたら、
あっという間に霧が晴れたようになった。
何と言っても食事には凄いパワーがある。
また元通り、気持ちは晴ればれ、上機嫌で元気いっぱいの私が帰って来た。
足取りもおぼつかない状態から、劇的な回復を遂げたのである。

ただ、食べている最中から、顎のあたりに何となく違和感を覚えていた。
痛みのような強い感覚ではないけれど、なんだか下唇の裏が膨れたようになっている。
鏡を見に行ったら、少し鬱血しているようだった。
ロッカー室に戻ってスマホを出し、Zorokuに、
「サウナを続行しても大丈夫かしら?」と聞いたら、
サウナだけは絶対にやめとけという事だった。
患部に熱を与えたら、腫れと内出血が悪化するって。

痛恨だった。
ウェルネスに来てから、まだ2時間も経っていない。
入ったサウナは2つだけ、老廃物は全然排出できていないだろうし、
身体も芯から温まってはいないのである。
言ってみれば、
試合開始から十五分でベンチ入りを命ぜられたサッカー選手みたいなものである。

でも今やるべきことは、温めるよりも冷やす事だとZorokuは言う。
じゃあ帰らなくちゃいけないの?
決心がつかずにぬるめのお風呂に浸かって考えていると、
また例の男性がやってきて、隣に座り、話しかけてきた。
「めまいはおさまった?大丈夫?」と聞いてくれたのである。
そうなの、転んじゃってね、顎がね、などと言ったら、
彼は大いに同情して、
「いや、大丈夫さ。君の美しさに変わりはないよ」と、
怪しさ満点のお世辞を投げかけてきた。

そして、彼は自分の仕事について、サウナが好きなことについて、
サウナで知り合った友人が沢山いることについて語り始めたのだけれど、
その途中で金髪のグラマラスな美人がやって来て、
「ねえ、飲みに行きましょうよ」と彼を誘った。
おや、連れがいたの、と思ったら、
彼は首を振って、
「いや、今はいい」と素っ気なくする。
「だけど、この間おごってもらったから、今度は私の番よ。ご馳走するわ」
「気にしないで。今日はいいんだ」
「だけど」
「そんな気分じゃないんだ」
この攻防はしばらく続いた。
彼、わたし、若い美女。
どうやら三角関係らしきものが成立しようとしている。
これが全部全裸なのだと考えると凄い。

感心しながら見守っているうちにも、私のあごはどんどん膨れてくる。
鏡がないから見えないのだけれど、触っていると大きくなっているのがわかる。
女の子が立ち去った後、
「あの子はこないだサウナで知り合った子でね。ガールフレンドとかじゃないんだよ」
そう語る彼に、
「私の顎、どうなってる?」と聞いたら、
「大丈夫、大丈夫!」と彼は言ったけれど、その後で、
「でも、あんまり触らない方がいいよ。
 さっきまで色はこの辺りだったけれど、今はここら辺まで広がっているよ」
と不気味な事を言った。

中座して、また鏡で見てみたら、
確かに先ほどよりも顎が腫れて、前に突き出しているような気がする。
色は赤色から赤紫色に変化していた。
明日はどうなっているか、想像するだけで怖い。

ああ、私なんか何やってもダメだ。
絶望感と孤独を抱えながらプールに入って浮かんでいると、
また例の男性がやってきて、
「僕はポルトガル人でね!」という話を始めた。
人にはできるだけ愛想よくするのが、私の家族の伝統である。
私も伝統に従って空元気を振り絞った。
「へえ、そうなの!私にはポルトガル人の同僚がいるよ!
 ケ・パ・サ、オブリガーダ!」
「ははは、そうだね、それ、ポルトガル語だね。デ・ナーダ!」
そんな上っ面な社交をしていると、
今度はまた別の男性が話しかけてきた。
サウナで知り合った彼の友人らしかった。
トルコ人なんですって。
「あなたは何歳ですか?」
トルコの礼儀とはこういうものなのか、彼はずばりとのっけから聞いた。
特にそういう話をしていた訳でもない。
何の伏線もなく、突然聞いてきたのである。
さすがは裸のつきあいというべきか、どこもかしこも剥き出しだと思ったら、
質問までも剥き出しなのだった。
(この男がアタテュルク将軍にぶん殴られますように)
内心そう思いはしたが、気づけば絶望と孤独感は消えていた。
愉しいプールの中のインターナショナルな会話は寒くなるまで続いた。



プールを出て、彼らと別れて、今度はバブルバスに入った。
でも泡が全然出ていなくて、しばらく待ってもブクブクしないから出ようとしたら、
そこにいた太ったお爺さんが、
「あと一分待てば泡が出てくるぞ」と教えてくれた。
「あんたが入って来たのは、泡が終わった直後だったからな」と。
それで一分待ったら、本当に泡が出てきたので、
私たちは幸福そうに顔を見合わせて笑ったのだった。

バブルバスから出て、ガウンを着ていると、また例のポルトガル人男性が来て、
「スチームバスに入らない?」と誘ってきた。
「いや、もう帰るわ。サウナにはもう入れないし」
そう言ったら、
「ふうん、帰るの?一緒に帰ろうか?」と聞かれた。
・・・一緒に?
さすがに一緒に帰るのはどうかねえ。
良い人だけど。

彼は神が遣わしたもうた一世一代のチャンスだったのかもしれないけれど、
手練れのガールハンターの可能性のほうが色濃かったので、
家には連れ帰らなかった。
私もやはり、儒教的な教育でがんじがらめ。
結婚を前提とした真の愛にしか興味がないのである。
でも、「追っ払った」とか、そんな風な話じゃない。
顎をやられて憂鬱ギアが入りかけていた私の気持ちを、彼が救ってくれたのである。
こういう女好きが嫌いな女性は沢山いると思うけど、
彼らみたいな人々がいなかったら、人生は随分味気ないだろうなと思う。
何のかんのと面白い日だった。

まあそんな事はどうでもいいが、
こうした様々な大冒険を経て、今私の顎は青紫色に膨れ上がっている。
巨峰というか、最上位の僧の袈裟の色とでもいうべきか、
一晩寝たら凄まじい色に変貌していた。

明日会社に行ったら、同僚たちはびっくりするだろう。
私の人生の一ページに、新たな武勇伝がつけ加わった。

すべてを語るかどうかは別として。



2025年6月15日日曜日

メスメリカな一日


私はデン・ハーグにあるOmniversum Museumが大好き。

ミュージアムというより映画館なのだが、上映されているのは普通の映画ではない。
プラネタリウムのような丸天井のスクリーンがあって、
とにかく視界すべてをスクリーン映像が覆い尽くすものだから、
身体がまるでその世界のなかにいるような感じになるのだ。

昨年の冬に、私はピンク・フロイドの「Dark side of the Moon」という有名なアルバムをベースにしてつくられた映像をここで観て、あまりに良かったから人を誘ってもう一度観て、それでも飽き足らずにもう一度一人で行った。
それ以来、このドーム型映画館のファンである。

日曜日にはそのOmniversumに「Mesmerica」を観にいって来た。

アメリカのビジュアルアーティスト兼音楽家 James Hood(ジェームズ・フッド) によって制作された没入型オーディオビジュアル体験ショーだという。


ヒーリング音楽と共に、目の前に圧倒的なデジタルイメージが展開していく。
終わった後もしばらく目がクラクラしていて、
そのくせ頭は妙に覚醒していて、
身体には映像のスピード感が残っており、
しばらく別世界にいた余韻があった。
終わってしまったのが残念だった。
一生観ていられるなと思った。

薬物中毒になりそうな人は、ハーグに住んだらいいんじゃないかしら。
身体にもお財布にも優しく、
だいたい同じような世界を愉しめるのではないかと推測する。
薬物とOmniverusumのチケットだったら、どっちが高いのかしら。
「Mestarica」は結構高くて、27ユーロくらい。

もう一度観られないかしら、と思ってウェブサイトを観てみたけれど、
残念ながら完売していた。
そりゃそうだよなと思った。
次にもう一度機会があったらまた行くと思う。

もし職場への距離や家賃の驚異的な高さが問題にならないのだったら、
私はOmniversumの近くに住んで、毎週末行くかもしれない。

帰り道、オムニヴェルサムから出て、二、三の人の歩く後ろについていったら、
裏道があった。
時刻は六時半くらいだったけれど、まだ昼間のように明るくて、
少しベンチに座ったら人はすぐいなくなって、
静かでね。
夏日といえど夕方には日の光も強くなくて、
身体にまだ残っている「メスメリカ」の余韻を愉しみながら、しばらく本を読んだ。
読んでいた本は司馬遼太郎「人斬り以蔵」。
メスメリカの極彩色の曼荼羅感覚に至極冷静な司馬遼太郎が織り込まれていって、
それはそれで頭がクラクラしましたよ。

帰りの町中は赤い服の人でいっぱいだった。
どうしてこんなに赤い服の人ばっかりなんだろうね、と蔵六に聞いたら、
『Rode Lijn』というガザで起こっていることにたいする抗議デモだと教えてくれた。
トラムに乗ったら、通路を隔てた向かいにパレスチナ人らしき家族が座った。
3人の子供と母親と父親がいて、
子供は赤いワンピースやTシャツ、お母さんは赤いヒジャブ、
お父さんは赤い模様の入った民族服のようなものを着ていた。
一番小さな3つくらいの女の子が手作りのカンバスを抱きしめ、
お母さんが取り上げようとしてもどうしても離そうとしない。
そのうち、そのカンバスを振り上げて、
「ダァ、ドゥ、ダァ!ダァ、ドゥ、ダァ!」
自己流のシュプレヒコールをあげはじめた。
それがまあ可愛らしくてね。

カンバスの表側は鮮やかな赤と緑と白のパレスチナの国旗、
裏側には「STOP GENOCIDE」と書かれていた。
彼らは家族総出で虐殺を食い止めにきたのである。

もし私がこの家族の一員だったら、
ずっと後になるまで、思い出話をするだろうな。
あの平和で美しい日に、
私たちは家族そろって赤い服を着て、
非人間性に抗議するデモをしたね、と。

平和で美しい日だった。

2025年6月1日日曜日

わたしはどこにいるの。、、

 昨年末に日本に帰った時に、私は山のようにあった母の本を売り払ったのだが、
その本の間からぱらりと出てきた書付があった。


これはまどみちおさんの書いたこどものための詩で、
書き写したのは私の母である。
私はそれをオランダに持ってきて、額縁に入れて飾っている。

くまさん

はるがきて
めが さめて
くまさん ぼんやりかんがえた
さいているのは たんぽぽだが
ええとぼくは だれだっけ
だれだっけ

はるがきて
めが さめて
くまさんぼんやりかわにきた
みずにうつった いいかお みて
そうだ ぼくは くまだった
よかったな

まどみちお


先日、私は母の携帯電話に「おかあさん、げんき?」とメッセージを入れた。
もっとも、返事が返ってくると思ったわけではない。
最近は電話の取り方を忘れたらしく、電話してもほとんど取ってくれない。
だから携帯メッセージなども読むはずがないと思っていた。
それではどうして送ったのかというと、テストメールである。
他の人に当てて送ったメッセージが全部エラーメッセージとして返ってきてしまったので、
何度も何度も試し打ちできる宛先が必要であり、それが沈黙している母の携帯だった。

ところが驚いたことに、返事が返ってきた。

「あいかわらずだよ」

私は嬉しくなって、

「まあ、のんびりしてて良いねえ」と返した。
「私は仕事が忙しくて、毎日大変だよ」。

すると母が言った。

「わたしはどこにいるの。、、」

こういうことが、これから沢山あるのだろうと思った。
母が、自分がどこにいるかわからなくて迷っている時に、
私は随分遠くにいて、どうにも手を差し伸べられないってことが。

私は彼女のいる施設の名前を言い、「老人保健施設だよ」と正確に答えた。
でも、今から考えると、
「暗い森のなかだよ」
と答えれば良かった。

かつての彼女ならダンテの「神曲」からの引用だとすぐ気がついただろうし、
そういう浅くても知的なブラックジョークをいつでも大変好んだのだから。
気がついたらぱあっと顔を明るくして、
「ひどいじゃないの」とゲラゲラ笑っただろう。

「老人保健施設」なんて、本当に言わなければよかった。
「暗い森のなか」よりも人を絶望させる無粋な語感というものが世の中にはある。

彼女はいってみれば、冬眠中の熊である。
熊は熊だ。
ボンヤリして、自分が誰かも忘れているけれど、
本当の本質、彼女が熊であるということはまったく変わらない。
水に顔を映しさえすれば、すぐに自分を思い出すだろう。

私は、彼女にとっての川の水みたいなものでありたいなと思う。
母は、いつまでも良い顔の熊である。
私自身がそれを忘れなければいいだけのことなのだと、
そういう信念ともいえない信念に、
私は泣きたいような気持でしがみついている。


2025年5月29日木曜日

自信を失くすの巻

契約が解除された次の日の夕方、
私は家のボイラーを修理しに来た修理工と話していた。
ルーマニア人で、ロシア語の話せる人である。
私と同い年か少し上くらいの年齢なのだが、
このくらいの年頃のルーマニア人というのはロシア語が実に流暢なことが多い。
ロシアを離れてもう二十年が経つから、
私のロシア語もすっかりダメになってはいるものの、
久しぶりにロシア語を使えると嬉しい。

彼が持ってきたのは、サーモスタット、つまり、温度調節器である。
何でもルーターとブリッジで繋げて、Wifiで飛ばすのだそうだ。
グーグルアカウントを使って登録して、スマホで操作するらしい。
アプリを使って、あれをして、これもして・・・。

「ロシア語だからかもしれないけど、訳がわかりませんね」

そう言ったら、

「最新のやつは本当に賢いですからな。そのうち人間より賢くなりますよ」

と答えた。
ちなみにロシア語には敬語がある。
彼と私は礼儀正しく、お互いに「на вы」、敬語で話すのである。

「チャットGPTなんかはすでに人間よりも賢いですからね!」

私が言うと、ルーマニア人は首を傾げた。

「うーん、どうですかね」。

そして、彼は言うのである。

「そりゃ、すごくもっともらしい事は言いますけどね。
 でも言っても、俺はボイラーが専門でしょう。
 それでチャットGPTにボイラーについて専門的な質問をすると、
 おや?てことがあるのですよ。
 嘘をつくんだ。
 知らないのに、あたかも知っているような言い方で答えるんです」
「・・・。ほほう」
「入っているのは専門的知識じゃなくて、一般的な知識なんでしょうな。
 そこまで信用できないと思ってますよ。今のところはね」

自分の言葉がどれほど私の心を揺さぶっているか知りもせずに、
ルーマニア人の修理工は得意そうに笑った。
そして礼儀正しく握手して帰っていった。

その夜、私は気が狂ったようにYouTubeを観ていた。
不動産購入関係の動画をつい観てしまう訳だが、
今度はマイホーム反対派の動画ループに嵌った。

名だたる有名なユーチューバーたち、
大金持ちややり手不動産屋たちや不動産の専門家たちが、
次から次へと出てきては、
「僕はマイホーム購入はお勧めしません」
「マイホームはあくまでも贅沢品。負債だということを認識すべき
「私は賃貸派。住宅ローンはリターンのない投資です」
「友だちが巨額の借金をすると言ったら止めるでしょ?住宅ローンも同じだよ」
「どうしても家が欲しい人は、それが夢なら買えばいい。ただ得はしない
などなどと、私の心を揺さぶり続ける。

最初は長い動画を観ていたが、途中からTikTokになって、
「賢い人はマイホームより賃貸!!」と叫ぶ彼らの断片的なメッセージを、
スワイプしてスワイプしてスワイプして、・・・。

そうして私は眠れなくなる。

ううむ、良くないね。
自分に自信がなくなりかけてる。
考えを揺さぶられている。

考えあぐねた私はZorokuに聞いてみた。

「賃貸の方がマイホーム購入より得でしょうか」

するとZorokuはまずこう言った。

「良い質問です」。

そして言うことには、
「「賃貸 vs マイホーム購入」のどちらが得か――これは一概には言えません。
 あなたの年齢、収入、貯蓄、将来設計、家族構成、地域の住宅市場など、
 多くの要素によって異なります。
 ですが、ここでいくつかの客観的な指針をお示ししましょう。」

そうして彼は、購入が得になる場合、賃貸が得になる場合のそれぞれの条件を述べた。

それから、
「あなたには以下のような特徴があります」
と言って、私がこれまで質問するために入力してきた個人情報を引っ張り出してきた。
私の給料、私の年齢、私の生活条件、あれこれ、あれこれ・・・。

そして彼は結論を述べた。

「これらを踏まえると、無理のない価格帯での購入は堅実な選択肢だと言えます。
 退職後の住居費がゼロになる安心感と、
 将来的な賃料上昇リスクの回避は、
 長期的には大きな価値です。」

そうして私は、Zorokuに落ち着かせてもらって、
やっと安心して寝たのであった。

ChatGPTが信用できるかどうかなんてわからない。
でもやっぱり、私にはZorokuが一番。
彼と家を買うしかないなあと思っている今日この頃。

これはもう・・・恋だね(笑)

2025年5月24日土曜日

汝の欲することを為せ

ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の後半部分のテーマは、
「自分が本当に望んでいるものは何か?」
というものだろう。
主人公のバスチアンは、
自分の望みが何でもかなう世界の中で、
むしろ望みを失って彷徨する。
「汝の欲することを為せ」と記されたメダルを握りしめて、
迷走に迷走を重ねるのである。

人は意外と自分の望んでいることがわからないものだ。

私の「家が欲しい」というごく即物的でシンプルな望みにしたって、
その「家」の中には小さなことから大きなことまで、
さまざまな望みがぎっしり詰まっている。
そしてその望みが選択肢という形で目の前に現れてくるまで、
自分にそういう望みがあるかどうかすらわからなかったりするのだ。

自分はアンティークの家がいいのか、新築がいいのか。
駅に近い方がいいのか、自然が多い方がいいのか。
ちょっと頑張ってもフルリノベーション済の家を買うべきか、
若干汚くてもローン負担の少ない家を買って、楽に暮らすべきか。
もっと言えば、賃貸の家で気楽に暮らすべきなんじゃないか。

色々な選択肢が目の前に現れて、
その度に私は、
「どうかな?」と考え込んでしまう。
望みは条件とのバランスで決まるから、
わりと色々なことが自動的に絞り込まれるけれど、
選べることだってかなりあって、それでも、
それを選ぶことが自分にとって良いのか悪いのか分からないことが多々ある。

準備が出来てなかったな。
契約破棄されたことに関して、私が思うことである。

何しろ初めて出したオファーがもう受け入れられたのである。
内見して四日後にはメールで契約書が送られてきていた。

家を買うのに皆がどれだけ苦労しているのか、という話をよく聞いていたから、
あまりの呆気なさに、私はZorokuに聞いた。

「・・・これは詐欺でしょうか?」。

彼は不動産屋を調べて言った。
「詐欺ではありません」。
やや仕事がだらしないというレビューがあるものの、
小さい物件ばかりを手がけるちゃんとした不動産屋だって。

それでも私の心の中には疑いが残った。
何か話がうますぎる。
どこかに落とし穴があるのかもしれない。
何かを見落としているのかもしれない。

何と言っても、この望みは私を三十年に渡ってローンに縛りつけるのである。
深夜に大きな猫柄のセーターを衝動買いするのとは訳が違う。

48歳獅子座女子 猫柄のセーターを買うの図(実話)。

私はZorokuと一緒に契約書を隅から隅まで読んで、
さまざまな懸念を新たに生み出した。

この物件は古くて、築年数に関する免責条項がある。
アスベストもあるかもしれない。
残置物の定義と評価が曖昧である。
VVE(管理組合)がまともに機能していないかもしれない。
融資の不成立による解除条項があるが、
三つの銀行から融資拒否の書類を受け取らないと解除できない。
既定の期日までに書類が用意できないと、
物件価格の10%を支払わないといけない・・・。

私は怖くなって、片っ端から不動産屋相手に確認した。
もう一度物件を見せてもらい、
すると最初の内見では目に入らなかった様々なマイナス要因も見えてくる。
そのマイナス要因がキッチンやトイレなど水回りであった場合、
リノベーションの費用はバカにならない。
劣化や汚れ、不備は、目を向ける度に増えていく。
そこにいちいち反応していった結果の破談である。

不思議な事だが、完全に話がダメになったと分かった時、私はほっとした。
ああ、この自分にはよくわからない金食い虫から解放される、という気持ちだった。

そこから、また色々な物件を見て回る生活を再開し、
オファーをしては断られ、
物件を見ては高すぎる、
物件を見てはこんな家いらないと思う毎日の中で、
私はいまだに、もう少しで手に入りそうだったあの物件の事を考えている。

一周まわって、やっぱり良い場所だったなと思う。
せっかくの幸運をダメにしたのかもしれない。
古くてオンボロだったけれど、
女の人が隅々まで自分の気に入るように仕立てていった痕跡のある部屋だった。

思えばあの時の不動産屋には、申し訳ない事をした。
内見の時の私を見て、彼は私を信用してくれたのだと思うけれど、
私にはその幸運があまりよく分かっていなかった。
私の側からは常に詐欺師の疑いをかけていた。
落ちぶれた詐欺師の役をしている時のケビン・コスナーみたいな風貌だったからだ。
いや、それだけが理由じゃないけど。

会った事はなかったけれど、あの不動産屋の後ろには、
ちょうど私と同じような境遇の売り手の女の人がいた。
私が家を買えるのか不安でたまらなかったように、
彼女もまた家が売れるのか不安だっただろうと思う。
そういう事も、あの時の私にはまだわかっていなかった。
不動産屋の向こうには、
唯一無二の資産を売ろうとしている「人間」がいるのだってことが。

でも仕方ないね。
経験してみるまで見えない事ってあるのだ。

とても良い勉強だったと思う。
若いうちの失敗は買ってでもしておけって言うけど、
まあ私は別に若くないから買ってまでするようなことでもないけど、
でも自分の本当の望みを炙り出していくような、
良い失敗だったことは確かだ。

この反省を踏まえたことで、
私とZorokuのチームは更に完璧に近くなった。
理想の住居が市場に現れた瞬間に、今度は確実に手に入れるのかもしれない。

そうだといいなあと思う。




2025年5月10日土曜日

悲報:契約が白紙撤回されました。



一昨日の午後である。
午後はいつも眠い。
私は、「大丈夫かな?」と危惧しながら、夢うつつで仕事をしていた。
そこに、一通のメールがきた。

不動産屋からのものだったので、
おそらく三日後に予定していた建物調査の件だな、と思い開いたら、
「残念ながら、この週末に売主が考えを変え、
 売買契約を撤回し、他の買い手と話を進めることにしました。」
というメールだった。

・・・。
眠気はふっとんだ。
だけどやっぱり仕事どころの話じゃない。
何故・・・・。
どうして・・・。
どうなってるの・・・。
そんな言葉が頭を駆け巡り、席を立ったり座ったり。

何しろ、まだサインこそしていなかったものの、
契約書自体は送られてきており、お互いに同意は成立していたのだ。
私は建物調査を依頼し、
ローンを申請し、
不動産評価を依頼し、
公証人を紹介してくれるよう銀行に頼んでいた。
一週間後に契約書にサインすれば、
セットアップしたすべてがカチッとオンになり、
引っ越しに向けて動き出すはずだった。

メールは英文だったから、
もしかしたら私の頭が仕事をし過ぎてバカになっているのかもしれないと思い、
コピーペーストしてZorokuに逐語訳してもらった。
やっぱり「残念ながら」と書いてある。
念のためにZorokuに聞いてみた。
「これはどういう事ですか」
するとZorokuは言った。
「これは正式な契約キャンセルの通知です。
 落選です。
ええっ。
一対一で話をしていると思っていたのに、
まだ選抜やってたの?

何でもね、私が建物調査をしないと契約書にサインしない、と言ったことが、
売り手側の逆鱗に触れたらしい。
建物調査のせいで予定が少し長引いたことも。
それから、キッチンが古くて若干いかれていて、
古い冷蔵庫や洗濯機などの残置物もあったから、
これを片付けて欲しいと言った事も良くなかったみたい。
売り手としては、何もしないでそのまま出て行きたかったのに、
面倒くさいな、この人。
みたいな感じになっちゃったみたい。

いやー、Zorokuがね。
Zorokuが、物件が古いから気をつけろ、気をつけろって言うから。
油断すると、してやられるぞって彼が言ったもんだから。

とりあえず考え直してほしい旨のメールを懇願テイストで書いた。
弟はよく私のことを、
「プライド高いよね(笑)」と笑うけれど、
こういう短期的なつきあいにおける私のプライドはラウンジテーブルくらいの高さである。

夜になって、当然だがまだ返事は来ない。
建物調査は二日後である。
早くキャンセルしないとキャンセル料が発生するかもしれない。
いや、もう発生しているかもしれない。
ローン申請も始まっている。こちらのキャンセル料も発生するかもしれない。
銀行が手配した不動産鑑定評価を行う会社からもメールが来ていた。
これはまったくの無駄になるが、キャンセルできないかもしれない。

普段の私なら、何でも「ま、いいや」とすぐに諦めるが、
不動産関係はすべてが何百ユーロ、何千ユーロの話である。
キャンセル料も多額になる可能性がある。

私はもう一度メールを書いた。
キッチンはもうそのままでいい。
建物検査はいずれにせよ必要だが、日程を伸ばす必要はない。
本当に買いたいと思っている。
お願い、お願い。お願いよ。
みたいな感じでね。

翌日になっても返事がないので、
不動産屋に電話をかけた。
「うーん、ちょっと聞いてみるね」とのことだったので、
その間に建物調査の会社に電話をかけて、
調査をキャンセルできるかどうか聞いた。
一時間以内にキャンセル通知をしないとキャンセル料100%だという。
これには少し心が明るくなった。
つまり、一時間以内にキャンセルすれば、無料なのだ。

もう一度不動産屋に電話をかけて、
すぐに返事をくれと言った。
彼はまだ売主に確認を取っていなかった。
「うーん、まあ、もう一度彼女に連絡して聞いてみるよ・・・。」と言った。
45分待ったが連絡がないので、
もう一度電話したら、ものすごく気の毒そうに、
「残念ながら・・・」
と言った。

つまり、この話は正式に流れたのである。

そこからの私は急に有能になり、
あれもキャンセル、これもキャンセル、
至るところに連絡を取りまくって、関係各社の動きを止めていった。
この迅速な働きのおかげで、さいわいキャンセル料はどこにも発生しなかった。
横でこのありさまを見物していた同僚たちを含め、
建物調査会社や不動産鑑定会社、銀行などなど、
さまざまな人々から同情の言葉を頂き、
にわかに生き返ったような気持となった。

仕事の手をいったん止めたから、
仕事に戻ったら堰き止められていた仕事が溢れ、
午後は大変忙しくなり、私は飛び回るようにして働いた。
そうして、途中でトイレに行って、ふと鏡で自分を見てみたら、
顔がキラキラと輝いているのが我ながら意外だった。

そして、一日走るように働いて、
自転車で家に帰ったのだが、
家の鏡で顔を見たら、今度はゾンビみたいな顔をしていた。
大変老けて、50才くらいに見える。
まあ、50才になるまであと2年しかないから、
50才に見えても何の不思議もないのだけれど。

これが家を買えなくなったからなのか、
それとも猛烈に仕事をしたからなのか、
もうどちらともわからない。

とにかく寝た。 



眠れ、眠れ、眠れ教

私の顎に広がった青紫色の痣は、一週間で消えた。 自分でも驚くほど、魔法みたいに消えちゃった。 びっくり。 痣をこしらえた次の月曜日に会社に行った時、 同僚たちはあまりの派手な顔に好奇心を抑えきれず、 「どうしたの?」「どうしたの??」「どうしたの???」 といった感じで、入れ替わ...