2025年6月29日日曜日

新しい武勇伝:ハマム事件

昨日の事であった。
私は一人でスパにいた。

一人でオランダのウェルネス施設に行く日本人女性は少ないだろう。
少なくとも私の友人にはいないようである。
一人でどころか、誘っても来ない。
何故なら、オランダのお風呂屋さんには男女の区別がなく、
全裸の男女の混浴が基本だからである。
「男女七才にして席を同じうせず」みたいな儒教的な価値観が彼らにスパを許さない。

でも私は一人で行くのである。
私にとってしてみれば、
たとえ男女混浴だろうと、お風呂屋さんがない人生なんて考えられない。

昨年の11月から今年の1月にかけて、
私は日本に3か月滞在した。
その間、私と弟はそこら中のスーパー銭湯に行った。
母の施設を毎日見て回っていた頃で、
出がけに弟が「今日はお風呂行こうか」と言うと、私は何の異議もなく賛成する。
布バッグにタオルと代えの下着を詰めれば、あとは何も要らない。
シャンプーから湯着から、お風呂屋さんには何でもあるのである。
日本のお風呂は男女が別れているから、
入ったら大体の待ち合わせ時間を決めておいて、弟とは別れる。
あとは別々にお風呂に入って、時々食堂などで合流して、また別れる。
気楽なものである。

私たちは近所の「王様のお風呂」が特に好きで、何度も行った。
「王様のお風呂」は素晴らしい。
その上、非常に安い。
入湯料は平日なら一人880円、会員なら800円である。
食べ物もおいしくて安い。
食堂は広々として、清潔である。
お風呂は何種類もあって、サウナもミストサウナも水風呂もある。
横になって眠れるスペースもあるし、漫画が沢山置いてある場所もある。
岩盤浴は別料金だけれど、それだってたかが700円である。
700円ていくら?
5ユーロくらいか。
あの岩盤浴で得られる圧倒的な満足感と比べたらタダみたいなものである。
そうして、私たちは風呂に入って、食べて、サウナに入って、水風呂に入って、寝て、
岩盤浴に入って、漫画を読んで、また寝て、食べて、・・・。
一日中ゆっくり安寧を身体にしみこませるのである。

ああ、懐かしいな。
弟の車と、弟と、王様のお風呂と、岩盤浴と、
さらさらした畳みたいな椅子に裸足で座って食べる油淋鶏定食と。
私の人生の中でもっとも幸福な時間があそこにはあった。
オランダでもこの類の幸福を探し求めてしまうほどに。

オランダのスパは、「王様のお風呂」ほどではないけれど、また違った類の楽園だ。
始めは全裸の男女が怖かったけれど、慣れてくれば興味深いだけである。
一人で来ている人も、老若男女問わず沢山いる。
レストランで、優雅にガウンを羽織り、プロセコなぞ頂きながら本を読んでいると、
斜め向こうにも優雅にガウンを羽織り、サラダを食しながら本を読んでいる女性がいる。
完全に自立していて、一人でいる自分に満足し切っている。
勝手に連帯感を得る。

「オランダ人は人の裸に慣れているから、あまり気にしていない。
 サウナに集中していて、人の裸なんて見ていない」

かつて私を初めてウェルネスに連れていってくれた友人はそう語ったが、
私はそんな人ばかりでもないように感じる。
やっぱりチラチラ見ているんじゃないかな・・・。
私も見事な身体の人がいるとどうしても目で追ってしまうし、
若い女の子の身体などは芸術的に美しいと思う時があるし、
タトゥーを彫っている人がいると、絵柄を見極めようと目を細める。
日本のお風呂屋さんは大抵入れ墨禁止だから、
全身タトゥーだらけの人の鑑賞が楽しめるのはオランダ特有である。
ものすごく大きな身体の人や、華奢な人、太っている人、痩せている人、
肌の色合いも多種多様で、若い人も老いた人もいるが、
誰もがそれぞれリラックスして、うっとりと休んでいる。
それは美しい眺めで、私も多様性を構成する一人として、安心して休む。

声をかけてくる男の人がちらほらいる。
まあ、私も裸で一人でうろついている訳だから、
「これは何かのサインなのでは?」と思われてしまっても仕方がない。
でも怖い思いをしたことはない。
私も裸で無防備だけれど、相手も裸で無防備だから、
お互いに謙虚で礼儀正しいのである。
「もしあなたがその気なら、今宵の僕は受け止める気がありますよ」的な、
そんな感じのありがたい申し出に過ぎない。
こちらにその気がない事を確認すると、すぐにさっと引いて姿を消していく。
もしかして受けて立ったら、
それはそれで新たな火種に発展していく事もあるのかもしれないけれど、
断わっているぶんには単なる楽園の暇つぶしである。
日本のスーパー銭湯のような絶対的な安心感はないものの、
去っていく男性の裸の尻を眺めながら、
「私もまだ捨てたもんじゃないわね!」と悦に入る心持は、
それはそれで日本では得られない何かである。

ええと、何の話だっけ?
そうそう、そんな感じで、私は昨日一人でスパにいた訳である。
スパに着いた時には三時をまわっていたが、その日は朝から何も食べていなかった。
体調もあったのかもしれない。
何か食べなくちゃなあ、と思いながら、でも食欲もなくて、
ついつい何も食べずにサウナに入ってしまった。

カラーサウナというサウナに入った。


サウナ内の色が赤だの黄色だの青だのに変化していくサウナで、
温度は低くも高くもない、わりとマイルドなサウナである。
でもこの日のカラーサウナは妙に熱かった。
私の後から男の人が入って来て、色々話しかけてきたものの、
もう耐えられないと言って、途中で出て行った。
そうなると俄然、マウンティング的な態度を取るのが私の悪い癖である。
「ふふん、この程度のサウナで音をあげるなんて、素人だわね」
みたいな感じに思って、12分計の砂が落ちきるまで悠然と耐えた。

そしてサウナから出た直後に、
「マズい」と思った。
何だか、世界がフワフワとして、上も下もわからないような感じである。
目がグルグルと回っている。
仕切り直しでシャワーを浴びて冷静になろうとしたが、
かえって耳の辺りの水音が心をかき乱したので、
私はそろそろと慎重な足取りで、ハマム風呂の辺りへ向かった。
そこには塩をすりこむための大きな石のベンチがあるのだが、
塩が置いてないから誰もいない。
その冷たい石の上に座ってクールダウンするべきだと思ったのである。


ところが、座ろうとしてかがんだところ、
ふらっとして目算を誤ったらしい。
あっという間もなく、私はしたたかに膝を床に打ちつけ、
顎を石のベンチに打ちつけていた。

常になく私は動揺した。
まずいまずい、と思った。
湯あたりである。

とりあえず石のベンチに座ったが、
身体がグラグラするので仰向けに横たわった。
すると、あっという間にカラーサウナで出会った男性がやってきて、
大丈夫かと聞いてきたので、私は舌打ちしたいような気持で起き上がった。
さすがの私も、見知らぬ男性が上から見下ろしている状況で、
全裸で横たわり続ける胆力はない。
「大丈夫ですよ」と答えると、
彼はぜひ水風呂に浸かれとアドバイスをくれた。
それは良いアイデアに思えたので、サンキューと答え、
私はよろよろとプールに向かった。

水風呂は冷たすぎると思ったので、
やや水温が高いプールに入ってじっとしていると、
だんだんと気が静まってきたように感じた。
例の男性が追いかけてきて、「水風呂のほうが水が冷たいよ」とアドバイスをくれた。
「知ってます、知ってます、知ってます」と早口で三回言ったら、
あらそう、と言って去っていった。

水に浸かりながら、
なぜこんな羽目になったのかを私はじっくり考えた。
年齢のせいか。
体調のせいか。
睡眠不足か。
何かの予兆か。
誰かの呪いか。
天罰か。
あれか、これか。
色々な説を検討した結果、
「朝ご飯と昼ご飯を食べていないからだ」という結論に辿りついた。

レストランでスパークリングワインとSotoスープにパンを食べたら、
あっという間に霧が晴れたようになった。
何と言っても食事には凄いパワーがある。
また元通り、気持ちは晴ればれ、上機嫌で元気いっぱいの私が帰って来た。
足取りもおぼつかない状態から、劇的な回復を遂げたのである。

ただ、食べている最中から、顎のあたりに何となく違和感を覚えていた。
痛みのような強い感覚ではないけれど、なんだか下唇の裏が膨れたようになっている。
鏡を見に行ったら、少し鬱血しているようだった。
ロッカー室に戻ってスマホを出し、Zorokuに、
「サウナを続行しても大丈夫かしら?」と聞いたら、
サウナだけは絶対にやめとけという事だった。
患部に熱を与えたら、腫れと内出血が悪化するって。

痛恨だった。
ウェルネスに来てから、まだ2時間も経っていない。
入ったサウナは2つだけ、老廃物は全然排出できていないだろうし、
身体も芯から温まってはいないのである。
言ってみれば、
試合開始から十五分でベンチ入りを命ぜられたサッカー選手みたいなものである。

でも今やるべきことは、温めるよりも冷やす事だとZorokuは言う。
じゃあ帰らなくちゃいけないの?
決心がつかずにぬるめのお風呂に浸かって考えていると、
また例の男性がやってきて、隣に座り、話しかけてきた。
「めまいはおさまった?大丈夫?」と聞いてくれたのである。
そうなの、転んじゃってね、顎がね、などと言ったら、
彼は大いに同情して、
「いや、大丈夫さ。君の美しさに変わりはないよ」と、
怪しさ満点のお世辞を投げかけてきた。

そして、彼は自分の仕事について、サウナが好きなことについて、
サウナで知り合った友人が沢山いることについて語り始めたのだけれど、
その途中で金髪のグラマラスな美人がやって来て、
「ねえ、飲みに行きましょうよ」と彼を誘った。
おや、連れがいたの、と思ったら、
彼は首を振って、
「いや、今はいい」と素っ気なくする。
「だけど、この間おごってもらったから、今度は私の番よ。ご馳走するわ」
「気にしないで。今日はいいんだ」
「だけど」
「そんな気分じゃないんだ」
この攻防はしばらく続いた。
彼、わたし、若い美女。
どうやら三角関係らしきものが成立しようとしている。
これが全部全裸なのだと考えると凄い。

感心しながら見守っているうちにも、私のあごはどんどん膨れてくる。
鏡がないから見えないのだけれど、触っていると大きくなっているのがわかる。
女の子が立ち去った後、
「あの子はこないだサウナで知り合った子でね。ガールフレンドとかじゃないんだよ」
そう語る彼に、
「私の顎、どうなってる?」と聞いたら、
「大丈夫、大丈夫!」と彼は言ったけれど、その後で、
「でも、あんまり触らない方がいいよ。
 さっきまで色はこの辺りだったけれど、今はここら辺まで広がっているよ」
と不気味な事を言った。

中座して、また鏡で見てみたら、
確かに先ほどよりも顎が腫れて、前に突き出しているような気がする。
色は赤色から赤紫色に変化していた。
明日はどうなっているか、想像するだけで怖い。

ああ、私なんか何やってもダメだ。
絶望感と孤独を抱えながらプールに入って浮かんでいると、
また例の男性がやってきて、
「僕はポルトガル人でね!」という話を始めた。
人にはできるだけ愛想よくするのが、私の家族の伝統である。
私も伝統に従って空元気を振り絞った。
「へえ、そうなの!私にはポルトガル人の同僚がいるよ!
 ケ・パ・サ、オブリガーダ!」
「ははは、そうだね、それ、ポルトガル語だね。デ・ナーダ!」
そんな上っ面な社交をしていると、
今度はまた別の男性が話しかけてきた。
サウナで知り合った彼の友人らしかった。
トルコ人なんですって。
「あなたは何歳ですか?」
トルコの礼儀とはこういうものなのか、彼はずばりとのっけから聞いた。
特にそういう話をしていた訳でもない。
何の伏線もなく、突然聞いてきたのである。
さすがは裸のつきあいというべきか、どこもかしこも剥き出しだと思ったら、
質問までも剥き出しなのだった。
(この男がアタテュルク将軍にぶん殴られますように)
内心そう思いはしたが、気づけば絶望と孤独感は消えていた。
愉しいプールの中のインターナショナルな会話は寒くなるまで続いた。



プールを出て、彼らと別れて、今度はバブルバスに入った。
でも泡が全然出ていなくて、しばらく待ってもブクブクしないから出ようとしたら、
そこにいた太ったお爺さんが、
「あと一分待てば泡が出てくるぞ」と教えてくれた。
「あんたが入って来たのは、泡が終わった直後だったからな」と。
それで一分待ったら、本当に泡が出てきたので、
私たちは幸福そうに顔を見合わせて笑ったのだった。

バブルバスから出て、ガウンを着ていると、また例のポルトガル人男性が来て、
「スチームバスに入らない?」と誘ってきた。
「いや、もう帰るわ。サウナにはもう入れないし」
そう言ったら、
「ふうん、帰るの?一緒に帰ろうか?」と聞かれた。
・・・一緒に?
さすがに一緒に帰るのはどうかねえ。
良い人だけど。

彼は神が遣わしたもうた一世一代のチャンスだったのかもしれないけれど、
手練れのガールハンターの可能性のほうが色濃かったので、
家には連れ帰らなかった。
私もやはり、儒教的な教育でがんじがらめ。
結婚を前提とした真の愛にしか興味がないのである。
でも、「追っ払った」とか、そんな風な話じゃない。
顎をやられて憂鬱ギアが入りかけていた私の気持ちを、彼が救ってくれたのである。
こういう女好きが嫌いな女性は沢山いると思うけど、
彼らみたいな人々がいなかったら、人生は随分味気ないだろうなと思う。
何のかんのと面白い日だった。

まあそんな事はどうでもいいが、
こうした様々な大冒険を経て、今私の顎は青紫色に膨れ上がっている。
巨峰というか、最上位の僧の袈裟の色とでもいうべきか、
一晩寝たら凄まじい色に変貌していた。

明日会社に行ったら、同僚たちはびっくりするだろう。
私の人生の一ページに、新たな武勇伝がつけ加わった。

すべてを語るかどうかは別として。



2025年6月15日日曜日

メスメリカな一日


私はデン・ハーグにあるOmniversum Museumが大好き。

ミュージアムというより映画館なのだが、上映されているのは普通の映画ではない。
プラネタリウムのような丸天井のスクリーンがあって、
とにかく視界すべてをスクリーン映像が覆い尽くすものだから、
身体がまるでその世界のなかにいるような感じになるのだ。

昨年の冬に、私はピンク・フロイドの「Dark side of the Moon」という有名なアルバムをベースにしてつくられた映像をここで観て、あまりに良かったから人を誘ってもう一度観て、それでも飽き足らずにもう一度一人で行った。
それ以来、このドーム型映画館のファンである。

日曜日にはそのOmniversumに「Mesmerica」を観にいって来た。

アメリカのビジュアルアーティスト兼音楽家 James Hood(ジェームズ・フッド) によって制作された没入型オーディオビジュアル体験ショーだという。


ヒーリング音楽と共に、目の前に圧倒的なデジタルイメージが展開していく。
終わった後もしばらく目がクラクラしていて、
そのくせ頭は妙に覚醒していて、
身体には映像のスピード感が残っており、
しばらく別世界にいた余韻があった。
終わってしまったのが残念だった。
一生観ていられるなと思った。

薬物中毒になりそうな人は、ハーグに住んだらいいんじゃないかしら。
身体にもお財布にも優しく、
だいたい同じような世界を愉しめるのではないかと推測する。
薬物とOmniverusumのチケットだったら、どっちが高いのかしら。
「Mestarica」は結構高くて、27ユーロくらい。

もう一度観られないかしら、と思ってウェブサイトを観てみたけれど、
残念ながら完売していた。
そりゃそうだよなと思った。
次にもう一度機会があったらまた行くと思う。

もし職場への距離や家賃の驚異的な高さが問題にならないのだったら、
私はOmniversumの近くに住んで、毎週末行くかもしれない。

帰り道、オムニヴェルサムから出て、二、三の人の歩く後ろについていったら、
裏道があった。
時刻は六時半くらいだったけれど、まだ昼間のように明るくて、
少しベンチに座ったら人はすぐいなくなって、
静かでね。
夏日といえど夕方には日の光も強くなくて、
身体にまだ残っている「メスメリカ」の余韻を愉しみながら、しばらく本を読んだ。
読んでいた本は司馬遼太郎「人斬り以蔵」。
メスメリカの極彩色の曼荼羅感覚に至極冷静な司馬遼太郎が織り込まれていって、
それはそれで頭がクラクラしましたよ。

帰りの町中は赤い服の人でいっぱいだった。
どうしてこんなに赤い服の人ばっかりなんだろうね、と蔵六に聞いたら、
『Rode Lijn』というガザで起こっていることにたいする抗議デモだと教えてくれた。
トラムに乗ったら、通路を隔てた向かいにパレスチナ人らしき家族が座った。
3人の子供と母親と父親がいて、
子供は赤いワンピースやTシャツ、お母さんは赤いヒジャブ、
お父さんは赤い模様の入った民族服のようなものを着ていた。
一番小さな3つくらいの女の子が手作りのカンバスを抱きしめ、
お母さんが取り上げようとしてもどうしても離そうとしない。
そのうち、そのカンバスを振り上げて、
「ダァ、ドゥ、ダァ!ダァ、ドゥ、ダァ!」
自己流のシュプレヒコールをあげはじめた。
それがまあ可愛らしくてね。

カンバスの表側は鮮やかな赤と緑と白のパレスチナの国旗、
裏側には「STOP GENOCIDE」と書かれていた。
彼らは家族総出で虐殺を食い止めにきたのである。

もし私がこの家族の一員だったら、
ずっと後になるまで、思い出話をするだろうな。
あの平和で美しい日に、
私たちは家族そろって赤い服を着て、
非人間性に抗議するデモをしたね、と。

平和で美しい日だった。

2025年6月1日日曜日

わたしはどこにいるの。、、

 昨年末に日本に帰った時に、私は山のようにあった母の本を売り払ったのだが、
その本の間からぱらりと出てきた書付があった。


これはまどみちおさんの書いたこどものための詩で、
書き写したのは私の母である。
私はそれをオランダに持ってきて、額縁に入れて飾っている。

くまさん

はるがきて
めが さめて
くまさん ぼんやりかんがえた
さいているのは たんぽぽだが
ええとぼくは だれだっけ
だれだっけ

はるがきて
めが さめて
くまさんぼんやりかわにきた
みずにうつった いいかお みて
そうだ ぼくは くまだった
よかったな

まどみちお


先日、私は母の携帯電話に「おかあさん、げんき?」とメッセージを入れた。
もっとも、返事が返ってくると思ったわけではない。
最近は電話の取り方を忘れたらしく、電話してもほとんど取ってくれない。
だから携帯メッセージなども読むはずがないと思っていた。
それではどうして送ったのかというと、テストメールである。
他の人に当てて送ったメッセージが全部エラーメッセージとして返ってきてしまったので、
何度も何度も試し打ちできる宛先が必要であり、それが沈黙している母の携帯だった。

ところが驚いたことに、返事が返ってきた。

「あいかわらずだよ」

私は嬉しくなって、

「まあ、のんびりしてて良いねえ」と返した。
「私は仕事が忙しくて、毎日大変だよ」。

すると母が言った。

「わたしはどこにいるの。、、」

こういうことが、これから沢山あるのだろうと思った。
母が、自分がどこにいるかわからなくて迷っている時に、
私は随分遠くにいて、どうにも手を差し伸べられないってことが。

私は彼女のいる施設の名前を言い、「老人保健施設だよ」と正確に答えた。
でも、今から考えると、
「暗い森のなかだよ」とか答えれば良かった。

かつての彼女ならダンテの「神曲」からの引用だとすぐ気がついただろうし、
そういう浅くても知的なブラックジョークをいつでも大変好んだのだから。
気がついたらぱあっと顔を明るくして、
「ひどいじゃないの」とゲラゲラ笑っただろう。

「老人保健施設」なんて、本当に言わなければよかった。
「暗い森のなか」よりも人を絶望させる無粋な語感というものが世の中にはある。

彼女はいってみれば、冬眠中の熊である。
熊は熊だ。
ボンヤリして、自分が誰かも忘れているけれど、
本当の本質、彼女が熊であるということはまったく変わらない。
水に顔を映しさえすれば、すぐに自分を思い出すだろう。

私は、彼女にとっての川の水みたいなものでありたいなと思う。
母は、いつまでも良い顔の熊である。
私自身がそれを忘れなければいいだけのことなのだと、
そういう信念ともいえない信念に、
私は泣きたいような気持でしがみついている。


みっつめのなぞなぞ

 日曜日の朝に読んでいるものは、 ミヒャエル・エンデの子供向けの詩集。 なぞなぞがあった。 みっつめのなぞなぞ この世でいちばんみじめな人間が もっていて 何でも持っている人間は もっていないもの 元気いっぱいの人間には 苦しみの種となり 飽くことを知らぬ人間には あったほうがい...