2025年9月13日土曜日

みっつめのなぞなぞ

 日曜日の朝に読んでいるものは、

ミヒャエル・エンデの子供向けの詩集。
なぞなぞがあった。

みっつめのなぞなぞ

この世でいちばんみじめな人間が もっていて
何でも持っている人間は もっていないもの
元気いっぱいの人間には 苦しみの種となり
飽くことを知らぬ人間には あったほうがいいもの

とことん愚かなものが とことん知っていて
ケチでもこれは いそいそとくれてやるもの
健康な人間には 薬のような役をはたすもの
でもそれを喜ぶ人の 心は空っぽのまま

けれどもそれは 冷酷なこころを和らげるもの
裏切行為を気高い行為にするもの
そしてそれをできる者が それを手に入れる
目の見えない人間でも 闇夜に見えるもの

それを期待する者は 絶望するかもしれないもの
それは賢明な者を うろたえさせるもの
悪魔には 必ず手に入るもの
なぜならそれは それを愛する者のものになるから

愚か者なら おおむね知っているこの言葉は
謎の中の謎 のように思われる
何故ならそれを 解こうが解くまいが
見つかるものは同じだから

『いたずらっ子の本』岩波書店 川西芙沙訳)

答は「退屈」かな?
でもとことん愚かな者が退屈をとことん知っているかというと微妙。

「快楽」じゃないか?
なんて思ったけど、
でもこれはエンデの子供向けの絵本にあった詩だから、
こんな大人の回答はあり得ないか。
なんて思い、
部屋を片付けながら沈思黙考。

「恥」という答えを思いつく。
いやー深い。
それを期待する者は 絶望するかもしれないもの。
それは恥。
この答えは深いわ。
マニアックなほどに。
でも深すぎて違う気がする。

面倒くさくなってきて、Zorokuに聞いた。
最初の二行を入れたところでエンターキーを間違って押してしまったら、
彼はなんとその二行で瞬時に答を出したね。
そして、おそらくそれが正解。
詩集に答が書いてないからわからないけれど、
これが答だと私の動物としての本能が言っていますよ。

いやー、人間はもうダメかもしらんね。
AIに勝てないよ、絶対。
Mensaの会員とかならまだ勝てるのかもしれないけれど、
人類の上位2パーセントが勝てたところでね。
















ちなみに正解は『無』だって!




明治の偉い女

前回のブログでも少し触れたが、
私は小学校五年生で、それまで住んでいた調布の「だまれ第二はくよう荘」から、
世田谷にある祖母の家に引っ越した。
駅から徒歩五分、
祖母も含めて家族6人が住んでもまあまあ大丈夫な大きな家で、
家と同じぐらいの広さの庭を持つ家である。

この家の特徴は、
職業婦人であった祖母がほぼ独力で買った家であるという点である。
私が買う予定の家より、規模にしておよそ八倍くらい大きい。
母がのちに生活のために売り飛ばすのだが、
一気に買える人が人がいなくて、半分づつ売った。
そのくらい広かった。

昔は家も土地も安かったからねえ、という事も言えるが、
よく考えて欲しい。
祖母は1908年生まれ、和暦でいえば明治41年の生まれだ。
その時代の日本の女で、自分の稼ぎで家を買った女がどれだけいるのか、という話だ。
祖母は大学を出ており、大手出版社の編集者であり、のちに重役になった。
おそらくその時代の女子の中で、もっとも高い給料をもらっていた人間だろう。

この祖母と私は、血がつながっていない。
母にとっての継母である。

私には四人の祖母がおり、
そのうちの三人が母方なのだが、
一人目は不良で、画家と駆け落ちして離婚して麻雀屋をやっていたという。 
血のつながった祖母はこの人である。
二人目が今話している大手出版社の編集者。
三人目は有名な女優である。
この人は結婚していなくて、
祖父の晩年の恋人だったというだけらしいけれど、
「エーセイボオルのおばあちゃん」と呼んでいて、可愛がってもらっていた。

エーセイボオルというのは小麦でつくったそぼろ菓子だが、
私たち子供にお土産に持ってきてくれたのが由来らしい。
洒落た人で、鋭くて抱腹絶倒の冗談を言い、なんだか只者ならぬ雰囲気があった。

私の母が昔よく言っていたのは、
「おじいちゃんは本当に女を見る目がなくて、
 怪物みたいな人ばっかり奥さんにしたのよ」ということだった。
母は三人もいる母親たちの権力闘争で酷い目にあって育ったから、
そういう感想になったのだろうと思う。

実際問題、どの女も物凄い強固な性格、
激しい自己主張、
芯の通った価値観を持つ、
当時の日本の女としては稀有なタイプばかりだ。
今では仕事をして男並みに稼ぐ女は珍しくないが、
それは時代がそういう女性を受容しているからそう在れるだけであって、
職業婦人が一般的でない時代に、男に混じって働き、
男以上のパフォーマンスをあげるためには、
努力というだけではない、頭脳というだけでもない、運だけでもない、
とにかく非常に特異な精神性が必要とされたのではないかと思う。

超リベラルだった祖父は、そういう孤高の自立した女性が好きだった。
あの時代の男性として、これもまた珍しいタイプだったに違いない。

もっとも子供の頃の私にとって、
「桜上水のおばあちゃん」の評価はあまり高くなかった。
あまり笑わないし、冗談も言わないし、厳格で、言ってもドブスだった。
いや、女性の外見のことをそんな風に言うべきじゃないけど。
そんなところで勝負をしてた女性じゃなかったんだから、
別にそんなことどうでもいいんだけど、
とにかく川端康成をもっと渋くして女にしたみたいな顔をしていた。

ノーベル賞作家、川端康成さん

子供は保守的なものである。
大概の男と同じで、
美人で健康的、陽気で気さくな若い女が好き。
私の祖母はそれのほぼ対極にいた。

大人になるとわかる。
いかに祖母がクールであったかということが。

男社会の中で、いや、この人間社会のなかで、
一切女性らしさを使わずに、おのれの頭脳ひとつで家まで建てた。
その偉さというものが、しみじみ心に染みてくる今日この頃である。

とはいえ、その後おじいちゃんは女優と浮気して、
それが大恋愛に発展し、愛憎の泥沼地獄になったという。

私はまだ五つか六つの頃から、
片方の祖母にもう片方の話をしないことを心掛けていた。
彼らの泥沼の恋愛ドラマを、母から常々聞かされていたからである。
私はその話を聞くのが大好きだった。
編集者の祖母が女優の祖母の顔にコップの水をぶっかけた話とかね!

母は言っていた。
「エーセイボオルのおばあちゃんを初めて見た時に思ったわ。
 桜上水のおばあちゃんは、女として、絶対にこの人に敵わないって・・・」。
十歳くらいの私は、うん、うん、と頷き、
「なるほどね。それはわかるな」なんて分別くさい返事をしたものである。

祖父とどうしても離婚したくなかった祖母は、
闘争のさなかに祖父の書斎を建て増しして、別れられないようにしたそうである。
正直な話、子供の頃にはその戦略がぴんと来ていなかった。
別にそんなの関係ないじゃん、無視して出て行けばいいじゃんと思っていた。
今ならわかる。
リノベーションにどれだけの金と手間がかかるのか。
私は考え過ぎて病気になりそうになり、
結果、バストイレキッチンがリノベ済みの家を買う事にしたのである。
強者の戦略を可能にした祖母の実力、あっぱれである。

祖父はミーティングルームも兼ね備えたすばらしい書斎を手に入れたものの、
ストレスがもとになって亡くなった。
緻密に考え抜かれた壮大な争奪戦が、ある時一切の意味を失う。
文学的ですらある。

祖母のことを思う時、
世の中には凄い女がいるものだ、と思う。

まあ、・・・。
同じようになりたいかというと、それはまた別の話だけどね。

2025年9月6日土曜日

マッチ箱みたいな家

まだ私の父が文楽の人形遣いだった頃、
母が女優をやめて作家になろうとしていた頃、
私たちは調布の『第二はくよう荘』というアパートに住んでいた。
「柏葉荘」という漢字だと思うけれど、記憶は曖昧。
私はそのくらいの子供だった。

六畳一間のアパートを二部屋借りていたのだが、六畳は大体20平米くらいだろうか。
合わせても40平米、トイレと台所を合わせても50平米なかっただろう。
お風呂はなかった。
そこに兄と私とまだ赤ん坊だった弟の三人の子供がいた。
そして、シップスという大きな黒猫がいた。
3人の子供たちが殴り合いわめき泣き叫ぶ家を、
母は「だまれ第二はくよう荘」と呼んだ。

あの時の母は、どういうノリで生きていたんだろうな?
今、家を買おうというこの時に、しばしば思う。
あのアパートは、5人の人間と一匹の猫が暮らすためにはあまりにも狭かった。
お風呂はないし、エアコンもないし、ベッドすらない。
クラシックな日本式に、夜がくると布団を敷いて寝たのだ。

母も父もそれなりに裕福な家庭で、それなりに広い家で育った。
それでよくあのオンボロの狭いアパートに住めたものである。
移り住んだ時にはすぐ出る予定だったのかもしれないが、
結局私たちは12、3年はそこから動けなかった。

もっとも「物件」という目で見てみると、
あのアパートは悪くなかったかもしれない。
目の前が公園で、ベランダも庭もあり、調布駅まで徒歩5分。
今ではあの辺りは駐車場とマンションになってしまっているが、
私たちが住んでいた頃にはまだ畑が広がっていた。

5人で住んでいたと言っても、父はほとんど家にいなかった。
文楽の人形遣いというのは、
大阪の国立文楽劇場と東京の国立劇場を往復するような形で生きていて、
その合間に国内やら海外やらの巡業に出かけてしまうからだ。
だから、普段は母と子供3人とでアパート2部屋で暮らしていた。
風呂がないのに、トイレと台所は2つあった訳で、
それは便利だった。

なぜこんな話をしているかというと、
子供の時に住んでいたサイズの家が、
私にピッタリくるサイズなのかもしれないな、
とふと思ったからである。
自分にとって最適なサイズはもちろん人によって違うだろうけれども、
少なくとも私にとって居心地の良い家とは、
新しくてモダンで広々とした家ではないかもしれない。
私は小さくてオンボロで、ご近所さんも貧乏人ばかりの家で育った。
そういう暮らし方に慣れているし、そういう暮らし方が怖くない。
小学校五年生になる時に、私は祖母の大きな家に引っ越したけれど、
自分の感覚の中にデフォルトのサイズ感として小さな家が今も残っている。
このハードルの低さは、ヨーロッパで女ひとり生きていくにあたって、
父母に感謝すべき長所かもしれないと思い始めた。

マッチ箱みたいな小さな物件を見つけた時に、
何故か心の安らぎを感じた。
マッチ箱みたいだから、大変にお安い。
その価格も、これまでの物件みたいに私を脅かさなかった。

朝昼晩と違う時間帯に物件の偵察に行って、付近の治安状況を確認せよ、とZorokuが言うので、私はある日の夜中にこのマッチ箱の家を見に行った。
夜中の十時頃だったけれど、夏の盛りだったからまだそれほど暗くない。
薄暗がりの大きな建物の前庭に、
ヒジャーブを頭に巻いて、色とりどりのゆったりしたサテンの服を着た女性たちが集まって、
ひそやかに話しながらお茶会をしていた。
女性の子供たちが横の小さな公園で駆け回っていたけれど、
不思議なほど静かで、穏やかな光景だった。

という訳で、私は移民街のど真ん中に、
マッチ箱みたいな小さなその家を買うことにした。
話は今のところ、とんとん拍子で進んでいる。
小さな家は、売る方も買う方もノープレッシャーなのである。


引っ越しはまだ先、恐らく冬になりますが、どうぞ遊びに来てね。



みっつめのなぞなぞ

 日曜日の朝に読んでいるものは、 ミヒャエル・エンデの子供向けの詩集。 なぞなぞがあった。 みっつめのなぞなぞ この世でいちばんみじめな人間が もっていて 何でも持っている人間は もっていないもの 元気いっぱいの人間には 苦しみの種となり 飽くことを知らぬ人間には あったほうがい...