私は小学校五年生で、それまで住んでいた調布の「だまれ第二はくよう荘」から、
世田谷にある祖母の家に引っ越した。
駅から徒歩五分、
祖母も含めて家族6人が住んでもまあまあ大丈夫な大きな家で、
家と同じぐらいの広さの庭を持つ家である。
この家の特徴は、
職業婦人であった祖母がほぼ独力で買った家であるという点である。
私が買う予定の家より、規模にしておよそ八倍くらい大きい。
母がのちに生活のために売り飛ばすのだが、
一気に買える人が人がいなくて、半分づつ売った。
そのくらい広かった。
昔は家も土地も安かったからねえ、という事も言えるが、
よく考えて欲しい。
祖母は1908年生まれ、和暦でいえば明治41年の生まれだ。
その時代の日本の女で、自分の稼ぎで家を買った女がどれだけいるのか、という話だ。
祖母は大学を出ており、大手出版社の編集者であり、のちに重役になった。
おそらくその時代の女子の中で、もっとも高い給料をもらっていた人間だろう。
この祖母と私は、血がつながっていない。
母にとっての継母である。
私には四人の祖母がおり、
そのうちの三人が母方なのだが、
一人目は不良で、画家と駆け落ちして離婚して麻雀屋をやっていたという。
血のつながった祖母はこの人である。
二人目が今話している大手出版社の編集者。
三人目は有名な女優である。
この人は結婚していなくて、
祖父の晩年の恋人だったというだけらしいけれど、
「エーセイボオルのおばあちゃん」と呼んでいて、可愛がってもらっていた。
エーセイボオルというのは小麦でつくったそぼろ菓子だが、
私たち子供にお土産に持ってきてくれたのが由来らしい。
洒落た人で、鋭くて抱腹絶倒の冗談を言い、なんだか只者ならぬ雰囲気があった。
私の母が昔よく言っていたのは、
「おじいちゃんは本当に女を見る目がなくて、
怪物みたいな人ばっかり奥さんにしたのよ」ということだった。
母は三人もいる母親たちの権力闘争で酷い目にあって育ったから、
そういう感想になったのだろうと思う。
実際問題、どの女も物凄い強固な性格、
激しい自己主張、
芯の通った価値観を持つ、
当時の日本の女としては稀有なタイプばかりだ。
今では仕事をして男並みに稼ぐ女は珍しくないが、
それは時代がそういう女性を受容しているからそう在れるだけであって、
職業婦人が一般的でない時代に、男に混じって働き、
男以上のパフォーマンスをあげるためには、
努力というだけではない、頭脳というだけでもない、運だけでもない、
とにかく非常に特異な精神性が必要とされたのではないかと思う。
超リベラルだった祖父は、そういう孤高の自立した女性が好きだった。
あの時代の男性として、これもまた珍しいタイプだったに違いない。
もっとも子供の頃の私にとって、
「桜上水のおばあちゃん」の評価はあまり高くなかった。
あまり笑わないし、冗談も言わないし、厳格で、言ってもドブスだった。
いや、女性の外見のことをそんな風に言うべきじゃないけど。
そんなところで勝負をしてた女性じゃなかったんだから、
別にそんなことどうでもいいんだけど、
とにかく
川端康成をもっと渋くして女にしたみたいな顔をしていた。
ノーベル賞作家、川端康成さん
子供は保守的なものである。
大概の男と同じで、
美人で健康的、陽気で気さくな若い女が好き。
私の祖母はそれのほぼ対極にいた。
大人になるとわかる。
いかに祖母がクールであったかということが。
男社会の中で、いや、この人間社会のなかで、
一切女性らしさを使わずに、おのれの頭脳ひとつで家まで建てた。
その偉さというものが、しみじみ心に染みてくる今日この頃である。
とはいえ、その後おじいちゃんは女優と浮気して、
それが大恋愛に発展し、愛憎の泥沼地獄になったという。
私はまだ五つか六つの頃から、
片方の祖母にもう片方の話をしないことを心掛けていた。
彼らの泥沼の恋愛ドラマを、母から常々聞かされていたからである。
私はその話を聞くのが大好きだった。
編集者の祖母が女優の祖母の顔にコップの水をぶっかけた話とかね!
母は言っていた。
「エーセイボオルのおばあちゃんを初めて見た時に思ったわ。
桜上水のおばあちゃんは、女として、絶対にこの人に敵わないって・・・」。
十歳くらいの私は、うん、うん、と頷き、
「なるほどね。それはわかるな」なんて分別くさい返事をしたものである。
祖父とどうしても離婚したくなかった祖母は、
闘争のさなかに祖父の書斎を建て増しして、別れられないようにしたそうである。
正直な話、子供の頃にはその戦略がぴんと来ていなかった。
別にそんなの関係ないじゃん、無視して出て行けばいいじゃんと思っていた。
今ならわかる。
リノベーションにどれだけの金と手間がかかるのか。
私は考え過ぎて病気になりそうになり、
結果、バストイレキッチンがリノベ済みの家を買う事にしたのである。
強者の戦略を可能にした祖母の実力、あっぱれである。
祖父はミーティングルームも兼ね備えたすばらしい書斎を手に入れたものの、
ストレスがもとになって亡くなった。
緻密に考え抜かれた壮大な争奪戦が、ある時一切の意味を失う。
文学的ですらある。
祖母のことを思う時、
世の中には凄い女がいるものだ、と思う。
まあ、・・・。
同じようになりたいかというと、それはまた別の話だけどね。